◎TOKYO PHOTO ; NEGISHI SANPEIDO 4.7 2012
谷中墓地の中を通って根岸の里まで歩く。ムシムシした昼間は霊園の大木が作る日陰がありがたい。時折涼しい風が吹き抜けるのも谷中墓地ならでは。霊園の中の猫も休憩中。
徳川慶喜の墓の東側に広い敷地を持つ渋沢栄一の墓があり、その脇の道をJRの線路方面に進むと御隠殿坂がある。この坂は一方は線路を跨ぐ高架、もう一方は線路沿いを日暮里方面へとふた手に別れている。御隠殿とは寛永寺住職の輪王寺宮法親王の別邸とのこと。江戸時代、寛永寺から別邸へ行くためこの御隠殿坂が造られたとのこと。寛永寺は代々、出家した皇族の子息が住職となり、輪王寺宮と称されていた。最後の輪王寺宮は後の北白川宮能久親王。寛永寺に立てこもった彰義隊に擁立されて上野戦争で敗北し、東北に逃げる。その後も波乱に満ちた生涯を送ることとなる。もちろん御隠殿跡の面影は全くない。
坂を下って線路を跨ぐと、マンションやアパートが建ち並び尾久橋通りに出る。その手前の路地は根岸2丁目。狭い隙間から尾久橋通り沿いの高層マンション・リーデンスタワーが建ちふさがる。以前同潤会鶯谷アパートがあった場所に、街の再開発事業により2001年に建てられたのがこのリーデンスタワー。
洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)の旧居跡の書道博物館、正岡子規の子規庵、周囲の家々の板塀に貼られた子規の句に見入る。ぐるっと回ってねぎし三平堂前に出た。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
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