2012年7月31日火曜日

東京都内最古の寺・金龍山 浅草寺

◎TOKYO PHOTO  ; KONRYUZAN ASAKUSASENSOJI 22.7 2012











休日の浅草寺(せんそうじ)、雷門をくぐって仲見世に入ると人でごったがえしている。中国や欧米からの観光客も多い。昨年の震災以降、減少していたがすっかり戻ったようだ。浅草寺は飛鳥時代の628年に建てられた都内で最も古い寺。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」として古くから広く親しまれている。

仲見世を過ぎると目の前に現れる立派な門が宝蔵門。小舟町と書かれた大提灯は日本橋小舟町の有志の寄進により作られ、入口の雷門は、1960年に松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気が治ったことのお礼として門と大提灯を寄進したとのこと。

本堂の前にはお香を焚いた常香炉が置かれている。無病息災や患部に煙をあてると病気が治るという言われ、みな思い思いの場所に煙をあてている。左手には五重塔が聳える。関東大震災では倒壊を免れたが、昭和20年の東京大空襲で焼失。昭和48年(1973年)に再建された。

本堂では毎日3回の法要があり、先祖供養や厄よけ等の祈祷が行われている。広い堂内の天井を見上げると、中央に龍の絵とその左右に蓮を持った天女の絵が描かれていた。川端龍子(かわばたりゅうし)画「龍之図」と、堂本印象(どうもといんしょう)画「天人之図」。畳約19畳分あるという。

五重塔の前で「打ち水大作戦2012」が行われていた。主催者の挨拶のあと、集まった人が水を張った木の桶を手にして一斉に水を撒いた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko

2012年7月30日月曜日

台東区三筋から元浅草、寿へ

◎TOKYO PHOTO  ; MISUJI MOTOASAKUSA KOTOBUKI 22.7 2012









台東区の鳥越神社から浅草を目指して進む。鳥越神社の北には三筋一丁目と二丁目があり、商店やオフィスビルと住居が混在している地域。新しいマンションなども建ち並ぶ。車の通りは少ないが区画整理された幾本かの通りが交わる。この周辺は江戸期、幕府下級官吏の組屋敷が密集して建っていた。屋敷の間に3条の道が縫うように通っていたことから、3本の“筋(道)”ということで浅草三筋組屋敷と呼ばれた。そこから三筋という地名になったとのこと。いまどき珍しくなってしまった電話ボックスがポツンと置かれている。

春日通りを越えて新堀通り沿いを進むと、浅草通りの菊谷橋交差点に出る。真っ直ぐ進めばかっぱ橋道具街で、右折すると東京メトロ銀座線の田原町駅。田原町駅の向かいに浅草東本願寺の立派な境内を見ることができる。浅草東本願寺は浄土真宗東本願寺派の本山。慶安4年(1651年)に神田に創建されたとのこと。明暦の大火(1657年)により焼失し、神田から浅草に移転。文化3年(1806年)の火災や関東大震災、空襲によっても焼失するが、その都度再建された。また彰義隊の拠点ともなったことでも知られる。葛飾北斎の『富嶽三十六景』に、「東都浅草本願寺」として描かれた伽藍を見ることができる。

田原町駅前の浅草通り沿いには、多くの仏壇・仏具の商店が並び、通称仏壇通りと呼ばれる。お盆が近いこの時期には様々な商品が店頭に並べられている。街角に浅草の歴史を綴ったパネルが展示されている。計り売りの炒り豆屋さんもある。浅草が近づいて人通りが多くなってきた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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2012年7月27日金曜日

台東区台東・小島・鳥越と鳥越神社

◎TOKYO PHOTO  ; TAKEMACHI TAITOCHO TORIGOEJINJYA 22.7 2012











JR御徒町駅から浅草方面に進む。台東区台東4丁目の竹町幼稚園と平成小学校に隣接した竹町公園前に出ると、公園入口ではふくろうのオブジェが迎えてくれた。ふくろうはすぐ近くにある佐竹商店街前のマスコット。

佐竹商店街は、春日通りに面する都営大江戸線の新御徒町駅前から続く全長330メートルのアーケード街。清洲橋通りから一本内側に入って並行して通っている。その歴史は古く、明治初年に秋田藩の佐竹右京太夫屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並んで盛り場としてにぎわいをみせ、やがて様々な店が軒を連ねて賑わったという。竹盛会という現在の佐竹商店街の前身が出来たのが明治31年。日本で2番目に古い商店会と唱っている。

周辺の下町風情は充分。周囲には古いままの建物が取り壊されずに残っている。小島1丁目から鳥越1丁目まで進むと“おかず横丁”と提灯の下がった通りに出た。この商店街もかつては名前の通り、おかずの材料を買いに来る近所の主婦で賑わったことだろう。閉まった商店に掛かった年代物の看板がかつての繁栄を物語る。

おかず横丁から左衛門橋通りを渡って、さらに進むと鳥越神社(とりごえじんじゃ)がある。蔵前橋通りに面していて1350年の歴史のある神社。毎年6月の中旬頃行われる鳥越神社の例大祭が有名。都内随一の大きさを誇る千貫神輿が、日曜日の朝神社を出て各町内の担ぎ手たちに次々と橋渡しされ、夜になって提灯行列とともに神社に戻ってくるという下町の初夏をつげるにふさわしい勇壮な祭りとのこと。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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2012年7月26日木曜日

JR中野駅北口の大飲食店街

◎TOKYO PHOTO  ; NAKANO KITAGUCHI NOMIYAGAI 15.7 2012










中野駅北口のサンモール商店街から横道に入ると、小さな飲食店街が網の目のように連なり、大飲食店街をなしている。中野北口一番街商店会から始まり、二番街商店会、三番街商店会、五番街商店会、狸小路商店会、白線通り商店会、新仲見世商店会、ふれあいロード商店会と12もの商店会、およそ900軒の飲食店を数えるという。

サブカルの聖地らしく店の入り口に置かれている人形もユニーク。休日は昼間から焼き鳥の煙が立ちのぼる。昔ながらの居酒屋があったり、今風のチェーンの飲食店があったり、台湾料理や韓国料理店などがあったり、お話セラピーなる少し怪しげな店もあったりと、その猥雑さに魅かれ多くの人が行き来する。

店舗に貼られた昔の漫画のキャラクターにカメラをむける外国人もいる。狭くひしめく飲食店街ながら新宿の歌舞伎町のような危険を感じないのは、地元に住む人がこの通りを日常的に通行に使っているからだろうか。若い女性や親子連れも多い。

“中華そば 青菜”というラーメン屋さんで、少し早めの昼食をいただいた。昔ながらの屋台をイメージした清潔な店内。作業工程は至ってシンプルだが工夫を凝らした味だった。時間帯によっては多くの人が並んで順番を待つという。

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