5月。シャン=ゼリゼ大通りから少し奥まったホテルに宿泊した著者・清岡卓行は、窓のカーテンを開けると、街路のマロニエが朝の日光を浴びて、白い花の盛りを燦然と輝かせている…という光景に偶然出会う。まるで贈物をもらったような、歓待のしるしを受けたような感動をおぼえたという。大学でフランス文学を学んだ著者が、パリへの熱い憧れを胸に秘めたまま、60代になって初めてパリを訪れた。この旅が、何年も前から計画を立てて取り組んできた今回の著作のための、強い動機付けになったと序章でのべている。
二十世紀において最も魅惑的な文学芸術の空間はどこにあったのか。それはふたつの世界大戦をはさんだ、ある時期におけるパリ。そう考える著者が、パリで青春の焰を燃やした十数人の芸術家たちの生き様を、横断的に描き出したのか本著。藤田嗣治・ユキ夫妻、岡鹿之助、シュルレアリスム詩人ロベール・デスノス、アンドレ・ブルトン、写真家マン・レイ、モダンダンスの道を開いたイザドラ・ダンカン、作家の島崎藤村、哲学者の九鬼周造、実業家の薩摩治郎八、詩人の金子光晴・森三千代夫妻など…。前半が藤田嗣治・ユキとロベール・デスノスを中心に、彼らを取り巻く人間像とその時代背景とが描かれる。後半は金子光晴・森三千代を中心にしながら、光晴らと藤田嗣治・ユキ・ロベールとの交友などが展開される。詩人でもある清岡卓行の文章は、「詩と散文、双方のジャンルの枠を読者に思考させる質を備えている」と石川淳が指摘したように、美しく魅力がある。上下巻とも600ページに近く、約10年に及び書き続けられた大作。1999年に野間文芸賞を受賞している。
前半の主人公は藤田嗣治。彼は1913年に渡仏し、パリのモンパルナスに居を構えた。当時のモンパルナス界隈は家賃も安く、芸術家が多く住んでいた。嗣治は隣の部屋に住んでいて後に「親友」とよんだアメデオ・モディリアーニやハイム・スーチンと知り合う。また彼らを通じて、後のエコール・ド・パリのジュール・パスキン、パブロ・ピカソなどと交友を結ぶ。また、同じようにパリに来ていた川島理一郎や、島崎藤村、薩摩治郎八、金子光晴ら日本人とも出会っている。
嗣治は生涯に5人の女性と結婚した。最初の妻は、東京美術学校を卒業した年に房総半島を旅行中に知り合った鴇田とみ。彼女は東金町で家庭科の教師をしていた。結婚の翌年の1913年、嗣治はとみを東京に残し、3年間という約束で単身パリに渡る。パリで生活を始めた翌年に第一次世界大戦が始まり、生活も困窮する。最初は頻繁に便りをするが次第に間遠になり、3年後パリでの生活を続けることを選んだ嗣治はとみと別れる。大戦が終局に向かう頃には少しづつ絵が売れはじめる。それには二人目の妻、フェルナンドの協力によるところが大きかった。やがてフェルナンドともうまくいかなくなり、孤独な中で『五人の裸婦』像を描いていた嗣治は、若く色白のリュシー・バドゥと出会い結ばれる。それが三人目の妻・ユキ。ユキとは、雪のように色白なリュシーに嗣治が名づけた。彼女をモデルにして『横たわる裸婦』『ユキ、雪の女神』など裸婦像を熱心に描くようになる。「乳白色の肌」とよばれた柔らかく艶のある乳白色の下塗りを施したうえに、筆と墨で輪郭の細い線を引くといった日本画の技法を取り入れた独自の画風をうみだし、それが絶賛を浴び、めざましい活躍をみせるようになる。
前半のもう一人の主人公はシュルレアリスム詩人ロベール・デスノス。1900年生まれのフランスの詩人。1922年、シュルレアリスム運動に参加。リーダーのアンドレ・ブルトンに「シュルレアリスムの真実に最も近づいた人物」と評されるが、のちにそのジャーナリスト活動、政治傾向等を批判され、1929年ブルトンと決定的に袂を分かつ。イヴォンヌ・ジョルジュというフランスのシャンソン歌手に崇拝に近い憧れを抱いていたブルトンであったが、イヴォンヌが1930年に30代前半の若さで亡くなると、やがて藤田嗣治の妻・ユキに思いを寄せるようになる。嗣治もそのことを知りながら、デスノスと親交を持ち、旅行したりもしている。
詩人・金子光晴と妻・森三千代。光晴が妻の森三千代を伴い、1年以上かけた放浪の旅のあとパリに到着したのは1930年1月のこと。まず上海までの汽船の切符を手にして長崎港を発つ。上海から香港へ、香港からシンガポールへ、シンガポールからジャカルタ、そしてジャワへ。所持金をほとんど持たなかった二人は、どこの国、町へ行っても、光晴が描いた風景や風俗などの絵を売って旅費や生活費を稼いだ。旅費が足りなかったため、妻が先にパリに向け出発し、光晴は2ヶ月遅れでパリに着く。後年ふたりはこの放浪の旅やパリでの生活、藤田嗣治やロベール・デスノスや他の芸術家との出会いなどについて、さまざまに回想している。
1930年8月下旬頃、 藤田嗣治はユキとロベール・デスノス、甥を伴ってフランス中東部ブルゴーニュへの行楽の旅にでかけた。前年ニューヨークで始まった大恐慌が世界に暗い影をおとしはじめていた。パリでもさまざまな影響が出始めていたが、4人は飲んだり食べたりの気楽な旅をした。若く美しいマドレーヌとの秘密の関係を持ち始めていた嗣治。ユキとロベール・デスノスの関係も以前より親密さが増していた。3人は微妙な変化のなかで、やがて再び世界大戦が勃発するのではないかという不安をよぎらせていた。
著者: 清岡卓行(きよおか たかゆき)
1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)。日本の詩人、小説家。
大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。
妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で創作活動も行っている。
受賞歴
1970年 - 『アカシヤの大連』で芥川賞
1979年 - 『藝術的な握手』で読売文学賞 随筆・紀行賞
1985年 - 『初冬の中国で』で現代詩人賞
1989年 - 『円き広場』で芸術選奨文部大臣賞
1990年 - 『ふしぎな鏡の店』で読売文学賞 詩歌俳句賞
1991年 - 紫綬褒章
1992年 - 『パリの五月に』で詩歌文学館賞
1995年 - 日本芸術院賞(詩歌部門)
1996年 - 『通り過ぎる女たち』で藤村記念歴程賞
1998年 - 勲三等瑞宝章
1999年 - 『マロニエの花が言った』で野間文芸賞
2002年 - 『一瞬』で現代詩花椿賞
2003年 - 『一瞬』と『太陽に酔う』で毎日芸術賞
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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文;長谷川 京子
2012年3月31日土曜日
2012年3月30日金曜日
国立新美術館(1)
◎TOKYO PHOTO ; THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO no1. 24.3.2012
2007年に開館した国内最大級展示スペースを持つ国立新美術館。建物前面を覆い大波のようにうねる美しい曲線を描く『ガラスカーテンウォール』が特徴的な建物で、モダンで明るい外観と広い室内空間を持つ。
それまで東京都美術館で開催してきた公募団体展や、首都圏の公立美術館で開かれてきた企画展など、複数の公募展の同時並行開催を行うことができる。またコレクションを持たないため、ミュージーアムではなくアートセンターを用い「ナショナルアートセンター・トウキョウ THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」となっている。
斬新なシンボルマーク・ロゴは、人気デザイナー佐藤可士和氏の作品。コンセプトは「新」。“漢字をモチーフにすることにより、より多くの人々、特にこれまで美術に関心のなかった人々にも親しみやすく、馴染みやすい存在となることを目指している。 「新」という文字の、全てのエレメント、全ての角は、閉じておらず、開かれている。それは開かれた「新しい場」。そこに人々が、そして美術に関するあらゆ る情報が集まり、そして発信される、開かれた窓のような場である国立新美術館の象徴”とのこと。インパクトのあるデザインだ。
国立新美術館開館5周年の企画展は野田裕示『絵画のかたち/絵画の姿』、4月2日(月)まで。公募展は『公募第52回 日本南画院展』3月30日(金) まで、『第65回 日本アンデパンダン展』4月2日(月) までなど。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
2012年3月29日木曜日
東京ミッドタウン_3
東京ミッドタウンはどの店も魅力的。「箸長」は3階にある箸の専門店。ウィンドウにはつるし雛が賑やかに飾られ、和の雰囲気を醸し出している。職人が天然素材を使って、一つひとつ端正に手作りする箸が飾られている。産地も若狭、輪島、会津、木曽、江戸、村上、別府など全国に渡っていて、常に2000膳以上のお箸を揃えているとのこと。My箸がブームになった時期があったが今も続いているのだろうか。
地下1階にある「虎屋」は和菓子の老舗。発祥は京都で、古文書などの資料によると虎屋の存在がたしかめられるのは1500年代後期頃という。羊羹や最中、季節のお菓子などが並ぶ。ずらりたくさん並ぶのではなく、少量が実に美しく置かれている。併設された奥のギャラリーでは「五周年記念・第24回企画展 ギャラリーの記憶」をやっていた。
3階のガレリアからサントリー美術館に入場できる。4月1日(日)まで行われているのは「悠久の光彩 東洋陶磁の美」展。この展覧会では、2012年に開館30周年を迎える大阪市立東洋陶磁美術館の収蔵品約4,000件の中から、国宝2件、重要文化財13件を含む東洋陶磁の名品約140件を厳選して紹介しているとのこと。
六本木には多くの文化・芸術施設が集積している。国立新美術館、六本木ヒルズ内にある森美術館とサントリー美術館の3館は、地図上で三角形を描く「六本木アート・トライアングル」として連携を図る。チケットの相互割引「あとろ割」も採用し、地域全体をアートの街として盛り上げている。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
2012年3月28日水曜日
東京ミッドタウン_2
◎TOKYO PHOTO ; TOKYO MIDTOWN no2. 24.3.2012
東京ミッドタウンは色々な所から入れるが、玄関とも言えるのがキャノピー・スクエアと呼ばれる場所。そこには巨大なキャノピーのエントランスが入場者を迎え、カフェテラスやTOKYO FMのサテライトスタジオや大型スクリーンも設置されている。
地階のコンコースへのガラスの屋根には、水が流れている。雨水かと思ったら水の流れる環境を作っているとのこと。ガレリアのエスカレーターの脇に4階から地階まで糸に伝わって落ちて来る水の演出もある。
「ミッドタウン・ウェスト」の1階部分にフジフィルムスクエアがある。富士フィルム写真コンテストと六本木フォトコンテストが行われていた。風景写真はみごとに美しく、人物写真は味わいがあり面白い。その場に居なければ、行かなければ撮れない写真。まさに写真も出会いだという思いを強くする。
隣でW.ユージン・スミス作品展もやっていた。W.ユージン・スミスは1918年、アメリカ中西部のカンザス州に生まれ。1943年から太平洋戦争に戦争通信員として従軍し、戦地でシャッターを押し続ける。戦後、「ライフ」誌と契約し、数多くのフォト・エッセイを掲載し、フォト・ジャーナリズムの歴史に偉大な足跡を残した。小さな子どもが手をつないで森を歩く後ろ姿を撮影した『楽園への歩み』。何かを語りかけてくる珠玉の一点。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
2012年3月27日火曜日
東京ミッドタウン_1(六本木アートナイト)
◎TOKYO PHOTO ; TOKYO MIDTOWN no1. 24.3.2012
3月24日から25日にかけて、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、国立新美術館を中心に六本木アートナイト2012が開催された。午前から冷たい雨が降っていたが東京ミッドタウンの中ではすでに巨大アートがお目見えしている。通行人がみな驚いているのは、何といっても全長13メートルもあるこけし《花子》。
こけしは江戸時代末期頃から、東北地方の温泉地において湯治客に土産物として売られるようになったのが始まり。宮城県ではこけしコンクールやこけし祭りなども開かれ、東北の象徴ともされている。そのこけし《花子》で六本木から日本全国にエールを送るとして制作されたもの。東京ミッドタウンの地下1階ガレリアに設置された《花子》は2階まで届くような高さで、下から見上げたり、2階3階から見下ろしたりと楽しめる。
ガレリアから広場の方向に進むと、アトリウムで行われていたのは親子で楽しめるアートのワークショップ、フェニックスを創ろうの催し。色とりどりの洗濯バサミを繋ぎ合わせていって、巨大なフェニックスを創るというもの。外のコートヤードでは旗に描きだされた被災者の思いがはためく。イラストレーターの荒井良二氏が、被災した宮城県沿岸部に足を運び、行く先々で出会った人の声を即興的に描いたもの。プラザの地下では、アヒルとカラスの羽で作った風車のような超微風観測器が並べられクルクル回っている。
夜にはこれらがライトアップされ、一夜限りのアートのお祭り空間になる。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
2012年3月26日月曜日
江東区 砂町銀座商店街
江東区北砂にある砂町銀座商店街は、今なお昭和の面影を残している下町の商店街。西口は明治通りから東口は丸八通りまで、東西に670メートルの距離にずらりと約180店舗が並ぶ。名前の由来は、昭和7年に行われた記念式典の際にある議員が「この通りが早く砂町銀座と呼ばれるような一大繁華街となられん事を望む云々」と祝辞したのを受け、その晩さっそく役員会を開き通りの名を砂町銀座にしてしまったというから面白い。
明治通りの砂町銀座商店街の交差点から入る。昼時、交差点付近には早くも行列ができている。「魚勝」というお寿司屋さん。安くてボリュームがあって美味しいと評判のお店という。商店街から一本入った「肉の中島」の前も人だかり。焼き鳥が大皿に並べられていて、種類も豊富大ぶりで安い。シュウマイや春巻きゴマ団子の店、コロッケや唐揚げなどの揚げ物屋さん、サラダや煮物、漬け物などの総菜屋さんも多い。山盛りの総菜が美味しそうに盛りつけられてさすが「おかず横丁」。
元気なおばちゃんが手作りするおでん屋さんもある。お客は串に刺してもらった玉子やこんにゃくなどのおでん種を、店の前で美味しそうにほおばっている。漁師の作ったおかずはいかがですか~との掛け声はあさり屋さん。漁師のご主人と息子さんが毎日浦安でとってくる新鮮なアサリを使ったお惣菜や煮物が並ぶ。おかずをパック詰めしたりお客さんをさばいたりと、ひとりで何役もこなしずっと手を動かしている元気なおばちゃん。
バラエティ番組等のメディアにしばしば登場することもあって、周辺住民だけでなく観光目的の客も多く活気がある。少しづつのつまみ食いが楽しい。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
2012年3月24日土曜日
江東区 新砂から南砂
◎TOKYO PHOTO ; MINAMISUNA 20.3.2012
東京メトロ東西線の東陽町駅で降りて塩浜二丁目方面に進むと、汐浜運河沿いのマンション群が目に飛び込む。運河のこっち側も向こう側もマンション群。マンションに隣接して、スカパー東京メディアセンターの巨大なパラボナアンテナも見える。すぐ前が東京メトロの深川車両基地。
運河に架かる新砂橋を渡ると新砂2丁目。工場や倉庫が広がっている。佐川急便、日通、福山通運など運送のターミナル基地もあるため交通量が夥しい。貨物専用線も引かれている。東京湾の方向には清掃工場の煙突がみえ、夢の島大橋の先は夢の島。
明治通りを南砂方向に進む。貨物トラックがひっきりなしに通過する大通り沿いの網囲いの中で、サッカーの練習をする子どもたちがいる。
永代通りと交わる日曹橋交差点、南砂3丁目、南砂4丁目の交差点を過ぎると仙台堀川公園。江東区内を流れている仙台堀川の多く部分を埋め立てて造られた親水公園で、総延長は3700メートルと都内最大の規模を持つ。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
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