「私」(主人公・里橋優)が東北の大学に通っていた時、ドイツに留学中の友人・鹿内堅一郎から奇妙な手紙をもらう。その手紙には、ある不幸な事故の後ピアノを弾けなくなったはずの友人「永嶺修人」が、ツヴィッカウのシューマン記念館でシューマンのピアノソナタ3番を弾いていた、と書かれてあった。しかも何事もなかったかのような見事な演奏だったと。
こんなミステリアスな出だしと表紙の意味深な血の跡に思わず引き込まれる。30年前の出来事が「私」の手記によって徐々に明らかになっていく。
「私」が音楽大学への受験を控えた高校3年の時、ピアニストとして将来を嘱望された永嶺修人が新入生として入ってきた。修人と親しくなった「私」は、学校の帰り道に修人から「講義=なぜシューマンは面白いのか」を受け、修人の忠実な生徒になる。若くして才能を開花させた人間特有の斜に構えた所のある修人だが、シューマンの音楽論を語らせたら情熱的。「私」も実際にシューマンのピアノ曲を弾いたり本や雑誌を読んで勉強を重ね、すっかりシューマン信者となっていった。
シューマンは、保守的な考えにしがみついた古い芸術に対抗するために「ダヴィッド同盟」という架空の団体を作り、活発な音楽評論を繰り広げた。「私」と修人はシューマンを真似て、クラシック好きの鹿内堅一郎を加えて「僕らのダヴィッド同盟」を結成。シューマンの譜面を読んで心に浮かんだことや連想したことなどをそれぞれが自由にノートに書いて回覧することにした。「私」はますますシューマンの虜になった。
受験に失敗し浪人生となった「私」は、ある夜偶然、修人のピアノ演奏を聴いた。弾いていたのはシューマンの《幻想曲ハ長調》Op.17。学校の音楽室で月の光を浴びてシルエットに映し出された修人は奇跡のような音楽を奏でた。
そしてその夜、校内で女子生徒の殺人事件が起こった。
ここからの展開は…サスペンスフルの様相を帯びてくる。「私」のなかで時折正体不明になる修人。そして、修人の指の切断事件ともうひとりの女子生徒の自殺。
修人はいったい何者なのか?
殺人事件の犯人はいったいだれなのか?
想像もつかない意外な結末だった。読み終わった後も何だかけむりに巻かれたような感覚だが、シューマン好きの著者が、シューマンの生涯をこの物語のモチーフにしようと試みたのではないかと考えたら少し理解できた。ひとつはシューマンは過度のピアノの練習により手を痛めたため、ピアノの演奏を諦めなくてはならなくなったこと。二つ目はシューマンは架空の団体『ダヴィッド同盟』を設定し、この団体のメンバーによる架空座談会という形での音楽評論を行ったこと。この架空座談会に登場する「フロレスタン」は活発で行動的。「オイゼビウス」は物静かで瞑想的で、彼らはシューマン自身の2つの面を表した分身であったとも言われる。三つ目はシューマンは躁鬱や精神的疲労、精神障害の悪化によりライン川に投身自殺を図り、間もなく助けられたが精神病院に収容されたこと、など。もっとあるかもしれないが…。
この本の決定的な面白さは、シューマンの楽曲を一曲ずつ読み解く修人の語りと内容が魅力的なこと。《ピアノ協奏曲 イ短調》 op.54、《謝肉祭》 op.9、《ダヴィッド同盟舞曲集 》op.6、《子供の情景》 op.15、《フモレスケ 変ロ長調》 op.20、《ピアノソナタ第2番ト短調》 op.22、《幻想曲 ハ長調》 op.17、《ピアノソナタ第3番 「管弦楽のない協奏曲」 ヘ短調》 op.14、《森の情景》 op.82などなど。クラシック好きには大いに楽しめる一冊だ。
◎著者:奥泉 光(おくいずみ ひかる)
1956年、山形県生まれ。現在、近畿大学教授。
1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞・瞠目反文学賞受賞。
1994年『石の来歴』で芥川賞受賞。
2009年『神器-軍艦「橿原」殺人事件』で野間文芸賞受賞。
他に『葦と百合』『バナールな現象』『『吾輩は猫である』殺人事件』『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』『モーダルな事象-桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』『地の鳥天の魚群』など著書多数。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
文;長谷川 京子
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