2012年1月27日金曜日

日本橋人形町 甘酒横丁

◎TOKYO PHOTO  ; NINGYOCYO no1  22.1.2012









日本橋人形町は江戸時代から商業、経済の中心として栄えたところ。関東大震災で大きな被害を受けたが復興も早く、昭和8年の区画整理ではじめて人形町という正式町名が誕生した。それまでは狭いエリアにもっと多くの町名が存在していた。戦争の被害をまぬがれたため戦前の家並みが各所に残っている。町名由来は「操り芝居や浄瑠璃芝居小屋があって市村・中村両座が繁栄し、多くの人形師が住み人形を作って売る店が並んでいたので、いつしか人形町と俗称されるようになった」という。

日本橋人形町といえば何といっても甘酒横丁。人形町通りから明治座方面にほぼ東西に250m余りの下町情緒たっぷりの商店街だ。明治の初め頃にこの横丁の入り口の南側に尾張屋という甘酒屋があったことから昔は「甘酒屋横丁」と呼ばれていたという。

道の両側においしそうな小売店が並ぶ。創業昭和3年の手焼きせんべいの「草加屋」、130年にわたる匠の技を守り続ける人形焼・瓦せんべいの「亀井堂」、毎日築地から仕入れる魚や野菜とうまい酒の「笹新」、大正5年創業の長蛇の列のできるたい焼き屋「柳屋」。反対側には、創業明治10年の老舗いなり寿司の「志乃多寿司総本店(しのだ)」、創業大正6年の三味線の店「ばち英(はなぶさ)」、明治44年創業の『秘伝だし巻き』の玉子焼の店「島忠」、江戸末期創業というつづら専門店「岩井つづら店」、創業明治40年創業の自家製豆腐やがんもどき店「双葉」、大正三年創業の自家焙煎ほうじ茶の店「森乃園」などなど。

帰りにいなりずし発祥の店「志乃多寿司総本店」の折詰めを買った。甘辛く上品に煮たいなりとのりの香りの効いたのり巻きを美味しく頂いた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子


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