◎TOKYO PHOTO ; KOAMICYO,KAKIGARACYO 22.1.2012
日本橋兜町から東京証券取引所の横の鎧橋(かぶとばし)を渡り、日本橋小網町に入る。この鎧橋のたもとにある案内板によると、江戸期には橋はなく小船による渡し場で「鎧の渡し」と称した渡船があったとのこと。鎧橋が架かったのは明治5年、当時この近くにあった三井家などの豪商が木橋を架けたのが始まり。その後、明治21年には鉄骨製のトラス橋に架け替えられ、現在の鎧橋は昭和32年に旧橋の老朽化に伴なって架け替えられた。
日本橋小網町の町名由来は中央区の説明によると「網を引いて将軍の観覧に供した漁師たちが御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得た。この漁師たちが、一丁目の町角に網を一張干しておく風習から生じた」とのこと。現在の小網町は、上を首都高速都心環状線が走る日本橋川に沿った所に位置し、昭和に建てられたビルが林立している。
すぐ隣は日本橋蛎殻町。銀杏八幡宮を過ぎてから新大橋通りを渡り、日本橋公会堂の入る日本橋区民センターに立ち寄る。中央区の街案内マップなどもらってさらに楽しい街歩きとなる。日本橋蛎殻町の町名由来は「昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしい」。
江戸時代は広大な武家屋敷地であったが、金融の中心地兜町と直結したため明治に入ると、金融業はもとより株取引きや商品先物取引の中心地となる。米穀取引所が設けられ、東京商品取引所や東京油問屋市場等も開設されたという。東京大空襲で一帯は焼失したため戦後は大きく様変わりした。現在の日本橋蛎殻町は古くからの建物は残っているが、新旧のマンションが建ち並ぶ居住地になっている。
蛎殻町2丁目西北角にあり、半蔵門線の水天宮前駅の前にあるのは「水天宮」。昔から安産祈願、子授けで親しまれてきた。水天宮の縁日にあたる毎月5日と、戌の日は大勢の人で賑わうという。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
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