2012年8月22日水曜日

千駄木 狸坂・大給坂・団子坂・薮下通り

◎TOKYO PHOTO  TANUKIZAKA OGYUZAKA DANGOZAKA YABUSHIITADORI ;  8.2012









文京区千駄木の2丁目3丁目には、不忍通りに下りてくる坂道が多くある。そのどの坂にも坂名由来が書かれた標識が立てられていてそのひとつ、狸坂(たぬきざか)。この周辺の高台は千駄木山といい雑木林が多かった。坂上の一帯は俗に「狸山」といわれていたことから名付けられたという。坂道を上がると千駄木小学校があり、小学校の数軒先に高村光太郎と智恵子が大正時代に暮らした所がある。

大給坂(おぎゅうざか)。坂上にかつて大給豊後守の屋敷があったことから大給坂と名づけられた。坂の途中の小さな児童遊園の中に、大給屋敷の中にあった大銀杏が現在も残されている。昭和に入ると、大給邸は三木証券の創業者・鈴木三樹之助に譲られ、やがてその娘の夫であった第68・69代内閣総理大臣の大平正芳所有となる。大平家は世田谷区へ転居する際、イチョウの木の立つ場所を文京区に寄付したとのこと。この急な坂道を、自転車に子どもを載せた母親が一気に駆け上がって行くのにはいつも驚かされる。坂を上った道の向こう側に、宮本百合子ゆかりの地の標識を見ることが出来る。

須藤公園の脇にある急坂がアトリエ坂。標識はないが、いつの頃からか地元の人から呼ばれるようになったのだろう。何度か息を整えながら上るかなりの急坂。隣には講談社社宅マンションがあり、講談社発祥の地の看板がある。

千駄木駅から本郷図書館のある方向に上る坂が団子坂。この坂上に森鴎外、夏目漱石らが居住していたことはあまりにも有名。名前の由来は、坂近くに団子屋があったからとも、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名もある。坂に沿って多くの飲食店が並び、学生や若者が行き交う明るく活気ある通り。

団子坂を上りきった団子坂上の信号を左手に進むと薮下通りに入る。崖下には汐見小学校や文京八中などが、崖上側には今年の11月にオープンする森鴎外記念館の入口や民家が並ぶ。昔はこの地にあった森鴎外の家・観潮楼から市中の屋根を越して遥に海が見えたという。永井荷風が「私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている」と『日和下駄』の中で語っている。樹と竹藪に蔽われて、昼なお暗いかなり野趣あふれる小道であったということだ。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko


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