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文京区本郷4丁目にある樋口一葉旧居跡の裏手、真砂町の崖上に出るには急な階段を上る。坂名は炭団坂。炭団などを商売にするものが多かったことや、階段や手すりがない時代、切り立った坂で炭団のように転び落ちた者がいたことから付けられた坂名と言われている。
炭団坂を上ったところに坪内逍遥旧居・常盤会跡の看板がある。明治17年に坪内逍遥はこの地(旧真砂町18番地)に住み、翌年『小説神髄』を発表。江戸時代の勧善懲悪の物語を排し写実主義を提唱し、日本の近代文学の誕生に大きく貢献した。戯曲も手掛け、またシェイクスピア全集の翻訳でも知られる。逍遥が旧真砂町25番地に移転後の明治20年には旧伊予藩主久松家が寄宿舎を創設。正岡子規も明治21年9月から24年暮れまで書生として過ごした。日立ビルが立っていたが取り壊され、現在マンション建設が進められている。
崖下の家々を見ながら前の細い道を通って真砂住宅前に出る。片側が石垣になった急な坂道、鐙坂(あぶみざか)を下る。坂に沿って右手の石垣の上にギリギリに古い木造家屋が建っているその下に、金田一京助・春彦旧居跡の看板がある。坂の下には菊水湯や床屋、古い家並みがあり懐かしい光景。
菊坂から本郷5丁目に向かう。5丁目のマンション「プラウド本郷」には近隣に住んだ人々として多くの作家の名前が記されていて文学の香り高い。このマンションの前の道を入った左手にかつて「本郷菊富士ホテル」があったことを示す石碑が建っている。大正3年に創業した菊富士ホテルは、昭和20年3月10日の戦火により50年の歴史を閉した。その間菊富士ホテルに止宿した数多くの文学者、芸術家、思想家たちは、ここを舞台に数々のエピソードを残した。ホテルの経営者と縁続きだった近藤富枝さんの著書『本郷菊富士ホテル』に詳しい。
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
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