◎TOKYO PHOTO KICHIJYOJI ; 5.12.2012
◎text
文京区本駒込三丁目にある広々した境内を持つ吉祥寺。本郷通り沿いの立派な正門をくぐると銀杏並木が続いている。まだ葉を付けた木から、葉がハラハラと風に舞い落ちて、掃いても掃いても一面を覆い尽くす。
吉祥寺は曹洞宗の寺院で、創建は室町時代1458年(長禄2年)。太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれている。徳川家康の入府に伴い、天正19年(1591)に水道橋へ移転。その後の明暦の大火(1657)後、この地へ移転した。僧侶の養成機関として栴檀林(駒沢大学の前身)を持ち、一千余名の学僧が学び、当寺の幕府の昌平坂学問所と並び称されたとのこと。しかし第二次大戦でほとんどが焼失し、山門と経蔵だけが往時をしのばせているという。
境内を進むと右手に、小説家・川上眉山(1869~1908)の墓がある。文京区の案内板によると、“東京帝国大学を中退後、尾崎紅葉や山田美砂と交わり硯友社に参加。また「文学界」同人とも交わる。明治28年には社会批判を含んだ「書記官」などの作品を発表する。後年、自然主義を取り入れようとするが行き詰まり明治41年6月15日自ら命を絶つ。”とある。
さらに左手には二宮尊徳の墓碑。傍らに薪を背負いながら本を読んでいる小さな像、昔はどこの小学校にもあったあの懐かしい像があった。こいのぼりの歌を作った小出浩平先生顕彰碑や近くには立派な赤松家のお墓もあった。赤松則良氏は幕末明治期の海軍軍人で、長女登志子は森鴎外に嫁したことで知られる。鐘楼や経蔵の裏手から通用門に抜けると、「あさ香社跡(落合直文終焉の地)」の看板が立っていた。
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/
◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
0 件のコメント:
コメントを投稿