◎text
たまたま本郷図書館から「一葉のポルトレ」という本を借りて読んでいた。ポルトレとは肖像という意味。頻繁に一葉宅を訪れ親しく交友関係にあった馬場孤蝶、平田禿木、戸川秋骨が描いた一葉。森鷗外、斎藤緑雨と一緒に「三人冗語」の中で一葉の「たけくらべ」を絶賛した幸田露伴。一葉が小説の師と仰ぎ、また意中の人でもあるといわれた半井桃水の描いた一葉。ほかに萩の舎で共に学んだ友人や妹の樋口くにの語りもある。13人の文学者、友人、知人たちがそれぞれの一葉を語る。これがとても面白い。健気で一途でちょっと皮肉屋で泣き虫の一葉。一葉が今の時代に生きてすぐそこにいるようなそんな感じがする本。
最初に登場する薄田泣菫の随筆。泣菫は明治27年に岡山から上京し、漢字塾で数学、英語を教えながら上野の図書館に通っていた。この文章は、そのころにたまたま一葉を目撃してその面影が忘れられないと記したもの。「ところは上野の図書館。…とある日のこと。」泣菫は男達ばかりの館内でいつものように何かの書物を借りようとして目録を繰っていると、「年は24、5でもあろうか。小作りな色の白い婦人が、繊弱な指先で私と同じように忙しそうに目録を繰りながら、側に立った妹らしい人と低声で何かひそひそ語り合っていた。」「何かの雑誌の挿絵でみた一葉女史そっくりである。」「その人はやっと目録を繰り当てたかして、手帳に何か認めようとして、ひょいと目録台に屈んだかと思うと、どうしたはずみか羽織の袖口を今口金を脱したばかりの墨汁壷にひっかけたので、墨汁はたらたらと机にこぼれかかった。」周りの人の目は一斉に婦人に注がれた。彼女は別にどぎまぎするでもなく、真っ白なハンカチを袂から取り出し、手早く拭き取り、済ました顔をこちらに向けた。「そして眼つきの拗ねた調子といったら…」その直後図書館の係が「樋口さん」と呼ぶ声に「はい」と涼しい声で受けて、さっさとあっちへいってしまった。「その折の皮肉な眼つきときっとした口元」「その眼つきにはわれとわが心を食みつくさねば止まない才の執念さが仄めいていた」と記しているのである。
一葉は小説等のほかに16歳から書き続けた詳細な日記を残した。この日記は死後焼き捨てよと遺言したが、妹の樋口くには日記のみならず小説の草稿は勿論、反古や手紙の下書等にいたるまで姉の書いたものは一枚たりとも粗末にしなかった。一葉記念館がこれほど充実しているのは、くにの存在あってのこと。また、一葉の業績を後世に遺したいと地元有志により「一葉協賛会」が結成され、記念碑を建設したり、有志会員の積立金をもとに現在の用地を取得して、台東区に寄付をして記念館建設を要請したりと、地域住民の熱意によるものが大きい。一葉の『たけくらべ』はこの町が舞台。ここ竜泉の二軒長屋で、子ども相手の駄菓子を商いながら9ケ月余りを暮らしたことが作品を生むきっかけになっている。
一葉記念館から出て周囲を歩く。すぐ前には甘味喫茶があり、並びには銭湯の一葉泉、その向かいに手焼きの一葉煎餅の店。すぐ近くに昔の吉原遊廓があったとは思えないほど、竜泉は古いが静かな住宅街だった。
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
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