2012年5月7日月曜日

上野寛永寺 根本中堂(台東区)

◎TOKYO PHOTO  ; UENO KANEIJI no2. 30.4.2012




寛永寺は、徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正によって、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、寛永二年(1625)に創建された。京都御所の鬼門に位置した比叡山延暦寺にならい、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に建立。山号は東の比叡山という意味で東叡山とされた。

江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域約30万5千坪、寺領12,000石余りを有していた。現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内。また上野公園の2倍の面積の寺地を有していたというから、その規模は相当なものであった。現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところ。

ところが幕末、彰義隊の戦(上野戦争)の戦場となったことから、根本中堂をはじめ、全山の伽藍の大部分がこのとき焼失し壊滅的打撃を受けた。明治維新後、明治政府によって境内地は没収され公園用地となる。明治12年(1879)ようやく寛永寺の復興が認められ、現在地(旧子院大慈院跡)に川越喜多院より本地堂を移築し、根本中堂として再建されたが、寺の規模は大幅に縮小された。

本堂の中は撮影禁止だが、見学可能で焼香もできる。境内には六体のお地蔵さんや石灯篭、鐘楼などがある。上野公園の賑わいとは対照的に静かで落着いた空間。散った八重桜の花びらをお坊さんが撮影していた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

0 件のコメント:

コメントを投稿