2012年2月9日木曜日

文京区小日向 茗荷谷から服部坂







































東京メトロ茗荷谷駅に着く。隣には25階建てマンションのアトラスタワー茗荷谷が建っていて、その1階はスーパーや衣料品のしまむらが入居している。裏手に廻ると、狭い通りながら飲食店が多く賑わっている。

裏通りをまっすぐ進んで突き当たりを左折すると、東京メトロ丸の内線を見下ろす古い陸橋が、第一清水谷橋から第四清水谷橋まで狭い間隔で4本ある。案内マップによると、線路をまたぐので正式には跨線(こせん)道路橋というらしい。橋の上から電車の通り過ぎる様子を見るのは童心にかえったようにワクワクする。隣で見ていた小さな子どもに思わず笑いかけてしまう。

橋が終わると釈迦坂という急坂で一気に下る。トンネルをくぐった先には小さな小さな宗四郎稲荷神社。蛙坂と呼ばれる急坂を今度は上る。江戸時代この蛙坂の東側の崖下はひどい湿地帯で、カエルが沼に多く集まっていた。向かいに馬場さんという屋敷があり、その古池にも蛙がいた。この坂で左右の蛙の合戦があったので、蛙坂と呼ぶようになったと伝わっている。

さらに進むと切支丹屋敷跡の標識。鎖国禁教政策の下で、宣教師や信者を収容した屋敷があったという。向かいの広い敷地にマンション建設計画があるらしく、マンション建設反対ののぼり旗が周辺のどの家にも掲げられている。“もともとは会社の社員寮があった所だけど大手に売っちゃったんですよね。周りは一戸建ての静かな環境で、この通り道路も狭いでしょ”と通りかかった住民が教えてくれた。

小日向台町小学校は詩人・サトウハチローの母校。大正5年卒業。開校百周年記念碑にはハチロー詩が詠まれていた。
     椎の木は
     ぼくみたいに頭でっかちだったよ
     椎の木の枝の間から
     いつも空がみえてたよ
     その空だけが
     ほかの空よりずっと青かったよ

由緒ある煉瓦塀や新渡戸稲造旧居跡を見ながら、神田川方面に下ってくる。服部坂にさしかかる手前で急に景色が開ける。左下を見ると福勝寺の墓があり、上に目をやればトッパンホールやシビックセンターなど文京区の遠景を見渡せる。服部坂を下ってくると、永井荷風や黒澤明監督も通ったという黒田尋常小学校跡(第五中学校跡)がある。この第五中学校と第七中学校が合併して音羽中学校が出来たということなので、この建物はいずれ取り壊されるのだろう。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

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