2012年2月3日金曜日

千代田区神田錦町・司町界隈

◎TOKYO PHOTO  ; NISHIKICHO,TSUKASACHO  28.1.2012








明治大学のリバティタワーの17階食堂でコーヒータイムの後、神田錦町に出る。錦町はオフィビルや商店が多く立ち並ぶ中に東京電機大学、神田警察署、正則学園高や錦城学園高などがある。

江戸時代この錦町界隈は、武家屋敷が軒を連ねる地域だった。錦町(にしきちょう)の名前は、「錦小路(にしきこうじ)」と呼ばれていた通りに由来し、近くに一色(いっしき)という旗本の家が二軒あっため二色(にしき)となり、いつのまにか「二色」が「錦」となったということだが、他にも諸説あるらしい。

神田錦町の町名が正式に生まれたのは明治5年のこと。明治時代にはこの広い土地を利用して大学などの教育機関が立ち並ぶようになる。開成学校は明治10年に東京大学になったが、明治18年に本郷に移るまでこの地にあった。正岡子規が入学した「東京大学予備門」も同じ敷地内に、東京英語学校(のちの東京外国語大学)や学習院も隣接していた。

神田錦町の隣が神田美土代町、さらに神田司町へ。少し古いオフィスビルや小さい飲食店の建ち並ぶ一帯。この周辺も狭いエリアに昔からの町名を残している。夕焼け空に染まる頃には人通りも減って、めっきり寒さが増してきた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

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