2012年2月2日木曜日

千代田区猿楽町界隈

◎TOKYO PHOTO  ; SARUGAKUCHO  28.1.2012








駿河台下から錦華通りを進むと神田女子学園の手前に「神田猿楽町々会詰所」と看板のある古い建物がある。昭和5年前後に建てられた築80年以上にもなる旧派出所だという。現在は何かに利用されているのだろうか。入口には火消しの纏(まとい)の図柄がかけられている。

猿楽町の町名は、現在の神田神保町1、2丁目から西神田1、2丁目にかけて、江戸幕府から手厚い保護を受けた猿楽師・観世大夫一団の屋敷があったことに由来する。その屋敷は万治2年(1659年)の神田川工事の折に移転したという。この界隈は江戸時代おもに武家屋敷が軒を連ねていた。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、猿楽町という町名が正式に誕生したのは明治5年のこと。昭和22年の千代田区成立時に「神田」を冠称して神田猿楽町1・2丁目となったが、昭和44年に当地区に住居表示を実施した際、「神田」の冠称を除いて猿楽町1・2丁目となった。

カトリック神田教会や神田女子学園を廻り込んで、千代田区立錦華公園、千代田区立お茶の水小学校の前に出る。東京音楽大学発祥の地の案内もある。お茶の水小学校は1993年に、錦華小学校・小川小学校・西神田小学校を併せて統合して出来た小学校。錦華小学校には夏目漱石も1期生として学んだ。

夏目漱石の石碑「吾輩は猫である 名前はまだ無い」の隣の駐車場で、猫がじっとこちらを睨んでいた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

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