2012年2月29日水曜日

墨田区押上 スカイツリーとその界隈













冷たい小雨まじりの東京スカイツリーは、展望台から上は雲に隠れたりときどき部分的に顔を覗かせたりと、めまぐるしく変化する様子が面白い。5月22日のオープンを目指して周辺の道路などの工事も急ピッチで行われている。

東京スカイツリーは634メートルの世界一高い自立式電波塔。約3年8カ月に及んだ本体の建設工事を終え、今日の午後、建設を請け負った大林組から運営会社の東武タワースカイツリーに引き渡される。オープンから7月10日までの50日間は混雑防止のために、インターネットか全国の東武トラベル窓口からの完全予約制になるとニュースでも取り上げられていた。しばらくの間は注目を集めることになるだろう。スカイツリータウン内の商業施設を「東京ソラマチ」と名づけ、レストランや食品・スイーツ、ファッション、ライフスタイルなど300店ほどのショップが入るということだ。

スカイツリーの真下を流れるのが北十間川。周辺の再開発にあわせ親水テラス、船着場などの整備が進んでいる。浅草などの観光地と連絡する水上バスの運行も構想されているらしい。川沿いには観光客相手に数軒の店が開いていて、肉まんを売る店の前には行列ができていた。読売新聞の江東支局東京スカイツリー前分室では、2009年2月からの「ツリー観察日記」をパネル展示し、建設中のタワーが徐々に伸びていく様子が一目で分かるようになっていて、誰でも見学できる。

スカイツリー周辺の押上、向島、業平界隈の大通り沿いは古い商店街で、路地に入ると昔ながらの木造住宅が密集している。今後スカイツリーの注目とともに街が変化していくのだろうか。

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年2月28日火曜日

文京区本郷三丁目界隈











春日通りを東京メトロ本郷三丁目駅方面に歩いていくと、途中にあるのが趣のある看板の「江戸あられ・竹仙」。昔ながらのガラスケースに色々な種類の江戸あられがぎっしり詰まっている。お年寄りご夫婦で営業しているということで、なじみ客らしい女性の注文を聞いている様子がガラス越しに見える。

もう少し進むと、国・登録有形文化財の看板のある本郷中央教会がある。1929年(昭和4年)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建て。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で一帯は焼け野原となる中、逃げ込んだ近隣の50~60名の消火活動により焼失を免れて、数日間は罹災者700名を収容したという地域の人たちと共にある教会。チャーチゴシック様式特有の装飾が美しい荘厳な建物で、1998年登録文化財に指定を受けている。

路地に入ると、老舗といった店構えの料理屋がところどころにある。また中小の医療機器メーカーが多いことにも気付く。東京大学医学部を始め、順天堂大学や東京医科歯科大学が近くにあるからだろうか。医療機器の研究開発等に関する調査研究を行ったり、認証を行ったり、臨床工学技士の国家試験などを行ったりする(財)医療機器センターも近い。

入口に映画のポスターがびっしり貼られているビルがあったので映画館かと思ったら、日活の本社だった。日活といえば、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、赤木圭一郎などの往年のスターたちを生み出し、1970年代に入ると「日活ロマンポルノ」の路線をスタートさせたことでも知られる。今年創立100周年を迎え、新たなるステージへと掲げられた大きなポスターがあった。

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年2月27日月曜日

文京区湯島界隈 サッカー通り










(財)日本サッカー協会(JFA)や日本サッカーミュージアムのある「JFAハウス」が、文京区湯島2丁目の金花商店会メインストリートにある。この地にJFA事務局が移転して、2002年に行われたFIFAワールドカップ日韓大会の開催を記念して日本サッカーミュージアムも開設された。同時に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、日本フットボールリーグ(JFL)、日本女子サッカーリーグなど国内のサッカー事務局や関連企業も都内各地からJFAハウスに集積したとのこと。この金花商店会の通りは「サッカー通り」と命名され、地域全体での応援体制だ。

日本サッカーミュージアムは地上1階がアッパースタンド、地下1階ロアースタンド、地下2階ピッチの3フロアーからなる。1階は2002年ワールドカップの試合の模様を大型映像装置で再現するヴァーチャルスタジアムや、各団体の関連情報を閲覧できるフロアーになっている。地下1階はワールドカップに関連した写真や資料の展示、Jリーググッズのショップや、日本サッカー殿堂入りした58人のモニュメントも設置されている。地下2階 「ピッチ」のみ有料ゾーンになっていて、2002年ワールドカップの関連資料などを展示している。なでしこジャパンの優勝トロフィーも展示されているということ。休日にはサッカーファンが多く訪れるのだろう。

蔵前通りに出ると、ホテル東京ガーデンパレスの前にお茶の水おりがみ会館のビルがあった。入口のガラスケースには和紙に描かれた絵や千代紙で作られた人形が華やかに飾り付けられている。中に入ると千代紙で作られたさまざまな雛人形が並んでいる。どれも手の混んだ細やかに作られたものばかりで伝統工芸の技を見せてくれる。創業安政5年(1858年)創業の染紙・千代紙製造の老舗で、日本古来の伝統技術「和紙染め」が認められ、文京区の文化遺産に指定されたという。

中2階は作品の展示場、3階は和紙や折り紙セットなどの売り場、4階は工房になっている。和紙は原料や用途、染色方法によって様々な種類があるという実に奥の深い世界だ。工房では染め師たちの手によって1枚1枚和紙が染められていく様子が見学できるという。折り紙教室も随時開かれている。簡単なものを制作するミニ講習から少し複雑な折り紙人形づくりなど実にたくさんの教室が用意されていて、子どもから大人まで楽しめる。

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年2月26日日曜日

文京区湯島 湯島小学校からサッカー通りへ











湯島2丁目、3丁目界隈を歩いていたら、湯島天神からほど近いところに湯島小学校があった。校庭は狭いが落ち着いた佇まいの学校。江戸時代の寺子屋を起源とし、1872年(明治5年)の学制施行前からの小学校として東京都内屈指の歴史を持つという。敷地内に生涯学習施設「文京区立湯島生涯学習館」もある。また、地域の伝統文化に造詣の深い人たちから茶道や水墨画、和太鼓などの指導を受けているということ。湯島天神で披露される演奏を前に、校内から湯島小学校太鼓クラブの和太鼓の威勢の良い音が聞こえてきた。

湯島小学校の南にあるのが、学校と同じくらいの敷地を持つ真言宗の寺、霊雲寺。江戸時代に時の権力者柳沢吉保を通じ、将軍綱吉の篤い信任を得た浄嚴和尚が、元禄四年(1691)幕命により、徳川幕府の永代祈願所として創建したという。

湯島2丁目と本郷3丁目の境にある通称サッカー通りに、17店の加盟店からなる金花商店会という地元の商店街がある。「金花(きんはな)」の名前は、かつてこのあたりの町名が「金助町」(現在の本郷3丁目)、「新花町」(現在の湯島2丁目)と呼ばれていたことから、両方の町の名の一字づつを取って付けられたという。こじんまりしていてとても雰囲気のいい商店街。その商店街の真ん中辺り、湯島二丁目交差点の角地に鯉を見つけた。夏目製作所というビルの片隅に、水を張った小さな池の中にだ。しかも鯉は大きい。窮屈そうな中でゆったりと泳いでいた。

photo ; 宇都宮 保
文 ; 長谷川 京子

2012年2月24日金曜日

文京区湯島3丁目界隈










東京メトロ千代田線の湯島駅を降り天神下の交差点に立つと、ちょうど昼どきで周辺の飲食店は賑わっている。湯島天神の梅まつりを見た後、どこの店に入ろうかと迷っている中高年グループが目に入る。路地に入っていくと老舗や料亭など風情のある店構えが多い。

湯島天神下はかつて湯島花街だった場所という。湯島中坂上交差点付近には小さなホテルが立ち並んでいて独特の雰囲気がある。湯島白梅商店会の湯島よもやま話によると、かつて芸者さんたちの置屋が数件あり、昼間はスッピンで歩く女性が夜になると綺麗になって化けて出てくるとの事から呼び名がついたと言われている「お化け横町」や、冬は酒を五合呑まねば出歩けないほど通り抜ける北風が骨身にこたえた「五合通り」などの通り名が地元には残っている。

湯島は1丁目から4丁目まであり、商店やオフィス、マンションや民家と職住が共存するエリア。地名の由来は江戸時代以前、海から見るこの地があたかも島のように見えたことからついたということで、湯島郷とよばれていたという。不忍池は海とつながっていたらしい。東に上野アメ横と御徒町、北は不忍池になっている。

坂が多いのもこの街の特徴。湯島天神には男坂、女坂。湯島天神の正門前の道には中坂、実盛坂、三組坂、妻恋坂、清水坂などがある。中坂は、湯島天神の男坂と妻恋坂の間に出来た坂なので中坂。実盛坂は階段のある急坂。三組坂は徳川家康の死去にもとない、家康お附きの中間、小人、駕籠方「三組の者」に、当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えたことにより名づけられた。妻恋神社が近隣にあるために名づけられた妻恋坂。清水坂は大正時代に清水精機会社という会社が、一部の土地を町に提供し坂道を整備した。清水家の徳をたたえて名づけられたという。

湯島天神から下りてきて路地を抜けると、やなか珈琲店からいい香りが漂ってきた。

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子