◎TOKYO PHOTO KANDA STATION ; 9.10.2012
◎text
JR神田駅界隈は古い建物も多く残っていて、駅の高架下や周辺には小さな居酒屋などの飲食店が所狭しと並び、盛り場というにふさわしい場所。ビジネスの中心地でもあり、昼も夜も多くのサラリーマンが行き交う。
神田は昔は職人や町人の街として、粋でいなせな江戸っ子たちが暮らしていた。神田駅東側には鍛冶町、神田紺屋町、神田北乗物町など古い町人町の面影を残す町名が多く残る。鍛冶町は江戸時代、幕府御用を勤める鍛冶方棟梁だった高井伊織がこの近辺に屋敷を拝領していたため、鍛冶職人などが数多く集まったことから付いた町名とされる。紺屋町は、徳川家康から軍功として関東一円の藍の買い付けを許されていた紺屋頭土屋五郎右衛門が支配していた町で、その配下の染物職人が大勢住んで、いつしか紺屋町と呼ばれるようになったという。北乗物町は駕籠(かご)をつくる職人が多く住んでいたという説や、駕籠をかつぐ人が多く住んでいたという説など諸説あるようだ。他にも、神田富山町、神田西福田町、神田美倉町など驚くほど狭い区画で旧町名が残っている。
神田駅はいま駅構内や上部で改良工事が進められて至る所に仮囲いなどがある。平成25年度末にはエレベーターやエスカレーターも設置され、改札外のコンコースや南口、東口なども完成する予定とのこと。さらに、上野駅始発の宇都宮線や高崎線、常磐快速線が東京駅まで乗り入れ、東海道本線への直通運転を行うための路線としての東北縦貫線の工事も同時に進められている。新幹線の上に縦貫線を走らせる2重構造とのこと。東京にさらに人を集め、利便性を追求していく。
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/
◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
0 件のコメント:
コメントを投稿