◎TOKYO PHOTO ; MINAMISENJYU 24.4.2012
南千住のジョイフル三ノ輪商店街から荒川総合スポーツセンターへ。周辺は広々と整備された綺麗な通り。ここにはかつて「東京スタジアム」があった。1962年、当時大毎オリオンズのオーナーで大映映画社長、永田氏が大毎オリオンズ(64年から東京オリオンズ)のホーム球場として28億円の巨費を投じて建設した。大リーグの球場をモデルにして当時としてはモダンな「光の球場」と呼ばれたという。数年間は盛況を見せたものの、その後はスタジアムの建設費を減価償却できない経営状態が続き、1972年を最後にプロのホーム球場としては使用できなくなり1977年解体された。わずか10年間利用されたに過ぎない、今思うと幻のような球場。現在は跡地に区の野球場がある。
野球場の隣は都立荒川工業高校。荒川区の産業を担う人材が育成されている。大手スーパー横に千住製絨所煉瓦塀の一部が保存されている。殖産興業を進める明治政府のもと、1879年に操業を開始した千住製絨所は日本初の官営織物工場で、軍服や警察官の制服などを作っていたという。
その向こうに南千住図書館と荒川ふるさと文化館。建物の前には回向院から移転した「橋本左内の墓旧套(さや)堂」が復元・保存されている。素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)は区内で最も広い地域(町屋地区・南千住地区・三河島地区)の61カ町に氏子を持つ神社。広々した由緒あるこの素盞雄神社のある千住は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発した地点として知られ、この時芭蕉が詠んだ「行く春や鳥啼魚の目は泪」の矢立初めの句碑(松尾芭蕉の碑)が境内にある。
子どもたちが駆け回る天王公園、誓願寺、千住大橋へと進む。南千住は一丁目から八丁目まであり、その間を常磐線と東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレスが走っている。線路の西側は今回みた文化財や史跡の多い落ち着いた街並、東側は高層マンションの建ち並ぶ若く新しい街という具合に、全く違う表情を持つのが面白い。
※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川 京子
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