◎TOKYO PHOTO ; NEGISHI 7.10.2011
台東区根岸3丁目から音無川の上に出来た道路に沿って2丁目方面に進む。広い尾久橋通りを渡り路地を入って行くと「ねぎし三平堂」の看板が見える。残念ながら開館していなかったが、昭和の爆笑王こと初代林家三平師匠が居住していた所。今は資料館になっていて、三平師匠のネタ帳やテレビ番組の台本や衣装などが展示されているという。
先に進み、左手に回り込んだところに「書道博物館」、その向かいに「子規庵」がある。子規庵は正岡子規が明治27年に松山から呼び寄せた母と妹と一緒に暮らした家。病に伏せながらも、多くの友人が訪れ精力的に句会や歌会、文学談義を行ったという。明治35年に34歳で生涯を終えたが、多くの人に影響を与えた。母と妹・律は子規の門人たちと共にこの地を守り続けたが戦災で焼失。その後再建され当時のままの姿で保存されている。周辺の地域の壁に子規の句が貼られていて今も地元で愛されている。
尾竹橋通りに出て、由緒ある豆腐屋「笹乃雪」前で子規の「みなづきや ねぎしすずしき ささのゆき」の句をみて、歩道橋の上から正面の根岸小学校をながめつつ言問通りに出る。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
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