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新宿区早稲田南町、夏目漱石が明治40年から大正5年に亡くなるまでの9年間暮らした「漱石山房」跡を尋ねた。東京メトロ東西線早稲田駅から夏目坂と呼ばれる坂道を喜久井町方面に上る。左折して区立牛込第二中学校と早稲田小学校の間を進んでから右折。しばらく行くと区営アパートの裏手に綺麗に整備された漱石公園がある。そこが「漱石山房」跡。
入口に漱石の胸像と「則天去私」の文字が掘られている。門を入ってすぐ左に、山房のベランダ式回廊の外観が再現されていて、正面に小さな案内所があり、そこで資料を見たりして漱石に思いを馳せる。漱石がどんな書斎で執筆していたのか、家族とどのような日々を過ごしたのか、漱石を慕って山房にやってくる弟子達とのこと、など。
『吾輩は猫である』を書き上げた千駄木の通称「猫の家」からこの地に移ってきたのは漱石40歳の時。ここから『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『こゝろ』『道草』『明暗』など名作が次々に誕生する。新宿区は2017年の夏目漱石生誕150周年に向け、この漱石公園に「漱石山房」(漱石の書斎)を復元する計画を進めているとのこと。
「漱石山房」跡から狭い路地をクネクネ歩いて矢来町の方向へ進む。矢来能楽堂の看板と入口を過ぎて牛込中央通りに出ると、新潮社の本館と別館が道の両側に建っている。
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya Tamotsu
text;Hasegawa Kyoko
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