2013年5月17日金曜日

文京区千駄木3丁目界隈 本郷図書館からファーブル昆虫館

◎TOKYO PHOTO SENDAGI ; 16.5.2013












◎text
不忍通りから団子坂を上って、団子坂上の交差点の手前にあるカフェが「Espresso Factory」。エスプレッソやカフェラテが美味しく気軽に休憩できる。交差点を右折すると、海外からの留学生が出入りする東洋大学国際会館と隣に本郷図書館がある。

この一方通行の通りには、「ここは、くらしのみち」と書かれた標識が入口に掲げられている。綺麗に整備された通りは歩道が広く、見通しのよい少しくねった道で、車がスピードを出しにくいようになっている。犬の散歩をさせる住民の姿が目立つ。この界隈は旧「駒込林町」。お屋敷町として知られた地域で、一軒一軒の敷地が広く、現在も立派なお宅が軒を連ねる。

特養ホーム千駄木の郷の隣の旧安田楠雄邸はその筆頭。安田楠雄は安田財閥の創始者・安田善次郎の孫にあたる人。平成8年まで子孫が住んでいたということだが、その後財団法人日本ナショナルトラストに寄贈された。大正8年に建設された建物は近代和風建築として価値が高く、日本庭園とともに平成10年には東京都の名勝として文化財指定を受けている。

少し進むと、路地の入口にあずき色の門柱が残されていて「宮本百合子ゆかりの地」の標識がある。旧姓中条ユリはここから駒本小学校、誠之小学校、お茶の水女学校に通い、日本女子大(英文予科)に進んだ。女子大1年の時、毎年行っていた父方の郷里である郡山市郊外の農村を舞台にした小説『貧しき人々の群れ』を書き、天才少女とうたわれた。女子大を1学期で退学し、作家生活に入った。大正7年にアメリカに留学し、留学中結婚したが、帰国後離婚。その経緯を描いた『伸子』は代表作となった。昭和2年ソ連に旅し、帰国後に日本プロレタリア作家同盟に加入。昭和7年宮本顕治と再婚し、昭和26年実家である千駄木のこの地で没した。

さらに通りをすすむと「高村光太郎旧居跡」の標識がある。光太郎は明治45年に住居をすぐ近くにある父の家からこの地に移し、自分で設計した風変わりなアトリエが完成した。以後、ここで数多くの彫刻・詩などの作品が生まれた。大正3年智恵子と結婚、昭和13年に死別後は一人で暮らしたという。

千駄木小学校を過ぎて2、3分の所に白い3階建てのファーブル昆虫館「虫の詩人の館」がある。2006年に開館したこの建物は、NPO法人「日本アンリ・ファーブル会」理事長で「完訳 ファーブル昆虫記」の翻訳を手掛ける奥本大三郎さんが、自分の住居地を提供し寄付を集め建てたものという。開館は土・日の午後1時~5時。入館料は無料。地下にはファーブル生家が再現されていて、1階展示室では昆虫や自然に関する展示が行われている。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

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