2013年2月15日金曜日

大森駅界隈 馬込文士村と大森貝塚

◎TOKYO PHOTO OMORI-MAGOMEBUNSHIMURA,OMORIKAIDUKA ; 10.2.2013











◎text
鈴が森刑場跡からすぐ近くの大井競馬場まで行ってみたが、休日で周辺は静まり返っている。戻ってJR京浜東北・根岸線の大森駅まで。駅前には「大森駅前住宅」と看板のある相当古いマンションが二棟建っている。1970年築の横に長い13階建て。高島平団地と同時期に作られたということで、似たような形状をしている。

東口には駅ビルのアトレ大森や西友、イトーヨーカドーなどの大手スーパーもあり、飲食店などが並ぶ繁華街が広がる。居酒屋、寿司屋、焼肉店、ラーメン店、お好み焼き、洋食、和食の店などなど。さらにアーケード付きの大森銀座商店街には大手チェーン店の他、居酒屋などの飲食店も多い。路地に入ると老朽化した空き店舗などもあり、新旧入り交じった商店街の様相を呈している。

西口に出ると東口とは全く街並が異なる。池上通りに沿って商店が続き、その先は高台の閑静な住宅街になる。駅前にある天祖神社の急な階段脇に、大正末期から昭和初期に馬込文士村に暮らした文士、芸術家のレリーフが飾られている。かつては馬込から山王にかけてのこの周辺一帯は武蔵野の面影を色濃く残し、静かな田園風景が広がっていたという。

関東大震災後、尾崎士郎の誘いで広津和郎、宇野千代、萩原朔太郎、北原白秋、室生犀星、川端康成、倉田百三などそうそうたる文士たちが次々に住むようになる。彼らが酒、麻雀、ダンスなどで相互にかなり親密な交流がみられたようすがレリーフの説明にある。それぞれの住居跡には案内版も立っているとのこと。

大森山王周辺を歩いてから駅前に戻り、大森貝塚発見の碑の前まで来る。看板の指示通りにビルと建設中のマンションの間を入って行くと、線路脇にちょこんと立派な碑が立っていた。発見したのはアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モース博士。1877年(明治10年)6月に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から見つけ、助手らとともに土器、石器、人骨などを発掘した。現在それら出土品は東京大学に保管されているとのこと。

◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

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