著者の山口 耀久氏は獨標登高会という山岳会を創立した人。この本はその山岳会会報や山岳雑誌に掲載された文章を随想集としてまとめたものである。
南八ヶ岳を動的な情熱的な山とすれば、北八ヶ岳は静的で瞑想的な山だという。
「北八ヶ岳には、鋭角の頂稜をいく、あの荒々しい興奮と緊張はない。原始の匂いのする樹海の広がり、森にかこまれた自然の庭のような小さな草原、針葉樹に被われたつつましい頂や、そこだけ岩塊を露出しているあかるい頂、山の斜面にできた天然の水溜りのような湖、そうして、その中にねむっているいくつかの伝説ーそれが北八ヶ岳だ。」
四季をとおして気のおけない仲間と行く北八ヶ岳山行が、いきいきとした表現で綴られる。日記には、まだ北八ヶ岳を訪れる人が少なかった昭和30年代、白駒池や雨池、双子池、亀甲池など湖の周辺や森の中を、黒百合平や麦草峠、大石峠、八丁平といった草原を、中山から丸山、茶臼山、縞枯山、横岳、双子山などの尾根を、強風に吹かれ、雨に打たれ、雪に見舞われ、時には踏跡が不明瞭な森の道をさまよいながら歩いた様子が描かれていて興味はつきない。
当時の北八ヶ岳は横断道路もなく、登山者も少なく、山小屋も少なく、静かな山歩きが楽しめた。著者が何度も好んで通った雨池は入るのに道はなく、勘をたよりに森をさまよい歩いた。たどりついた時はまるで恋人に出会ったときのような悦びに満ちている。
イラストレーターでエッセイストの沢野ひとしは登山家としても知られているが、彼は高校生の頃この本に触れ、八ヶ岳登山にのめりこんでいったという。『北八ッ彷徨』はひたすら北八ヶ岳讃歌、美しい一冊である。
○山口 耀久氏(やまぐち あきひさ)
大正15年、東京生まれ。昭和19年に獨標登高会を設立し、八ヶ岳、後立山不帰後・峰東壁、甲斐駒摩利支天中央壁、利尻岳西壁などに開拓の足跡を残す。昭和33年に串田孫一責任編集で創刊された山の文芸誌『アルプ』の編集委員を三百号の終刊まで務めた。
主な著書に『烟霞淡泊』『八ヶ岳挽歌』『頂への道』がある。
文:長谷川京子
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