2011年4月30日土曜日
日本橋人形町界隈(2)撮影;2011.4.27
人形町から蛎殻町方面に歩くと「水天宮」がある。
昔から安産祈願、子授けで親しまれてきたお宮。「情けありまの水天宮」と洒落た言い習わしが広まり、「恐れ入谷の鬼子母神」と共に江戸の二大流行語となったという。
若いカップルや小さな赤ちゃんをつれたお宮参りの家族連れが祈願に訪れていた。
「水天宮」の通りにはマタニティドレスや子供服の店も並んでいる。
ゼイタク煎餅と人形焼きの「重盛永信堂」や黄金芋の「寿堂」などの老舗もある。
白餡をニッキの香り高い皮で包んだなつかしい黄金芋はちょっと苦めの煎茶に最高だ。
明治座から芝居を終えたご婦人方が一斉に出てくる。
明治座の前の中高年の婦人服店が山のように商品を並べているのも、手にとっているご婦人方の様子も、昔から続く光景なのだろう。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
2011年4月29日金曜日
日本橋人形町界隈(1)撮影;2011.4.27
中央区の町名紹介によると、江戸時代多くの人形師の店が並んでいたので、俗称人形町と呼ばれるようになったという。
「甘酒横丁」というおもしろい名のついた通りを歩く。
谷崎潤一郎生誕の地(現在はしゃぶしゃぶの店「谷崎」になっている)あたりから明治座までを歩いたのだが魅力的な店が並んでいる。
親子丼の元祖「玉ひで」はランチタイムになると長い行列のできる店として有名。
隣の西洋料理「来福亭」や喫茶「快生軒」もレトロな雰囲気を残した店舗で味も確かな人気店という。「柳屋」のたい焼きにも餡のたっぷり入ったカリッと香ばしい味を求め多くのひとが足を運ぶ。ジャンボガンモの豆腐店「双葉」、近江牛で有名な「今半」、居酒屋「笹新」などなど。
古き良き時代の老舗がいまも当時の味を伝えてくれるのはうれしい。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
2011年4月27日水曜日
墨田川(吾妻橋から両国橋)撮影;2011.4.26
吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋と隅田川テラスを歩く。
壁はギャラリーになっていて花火大会や相撲、昔の隅田川の様子などを描いた浮世絵がかけられている。また橋の欄干には相撲の決まり手があしらわれていて両国国技館が近いことを思わせる。
橋のたもとでサンドイッチマンに出会った。
居酒屋の看板を首から下げ、ポケットティッシュを配っているこの人は「歩く広告塔」。
まじめでユニークなところが浅草らしい。
この辺りに来ると観光遊覧船や屋形船がみられるようになる。
客が賑やかに遊覧している船内の様子が見られないのは少々寂しい気がする。
河口が近いこともあり、過去の台風や高潮で潮位が上がったことを示す潮位記録があった。
このテラスにはホームレスの住まいも多い。災害がこないことを祈るばかりだ。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
2011年4月24日日曜日
台東区浅草 撮影;2011.4.22
浅草はやはり粋なところだ。
伝法院通りで浅草芸妓さんに遭遇。艶やかな姿をカメラに納めさせていただく。金曜日夕方にもかかわらず人出は少ない。
雷門から仲見世、浅草寺と浅草のメイン通りでも震災の影響が感じられる。
周辺の通りを歩く。花やしき通り、ひさご通り、六区ブロードウェイ、浅草六区通り…。
飲食店が所狭しと並んでいて老舗という構えの店も多い。
通称浅草ホッピー横丁では元気な店員さんの呼び込みに思わず喉を潤したくなる、が、ここは我慢して。
今回は創業二百余年の歴史を持つ「駒形どぜう」の暖簾をくぐった。
風格を感じさせる落ち着いた店構えで、注文した「柳川なべ」はくせのない上品な味。
どぜう(どじょう)は江戸時代から庶民に親しまれたスタミナ食で、ここ「駒形どぜう」は多くの文豪たちに愛されたお店という。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
墨田川(白鬚橋から吾妻橋)撮影;2011.4.22
南千住から隅田川に沿って浅草まで歩く。
滝廉太郎の「春のうららのすみだがわ〜」を思わず口ずさみたくなる。
白髭橋周辺はかなりきれいな公園。この日は芝刈りが行われていた。
デッキにはユリカモメが多くみられる。
桜橋、言問橋、吾妻橋と由緒ある橋を通過して浅草に着く。
吾妻橋のたもとは水上バス発着所になっている。
イングランドとアメリカから来たと言う若者はカメラを向けると笑顔で応えてくれた。
隅田川を挟んで浅草のちょうど対岸にある「アサヒビールタワー」は琥珀色のガラス張りの高層ビル。すぐ隣の「スーパードライホール」の上には奇抜なオブジェがある。吾妻橋からはこれらと墨田区役所、スカイツリーが絶好の撮影スポットになっている。
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
photo ; 宇都宮 保
文;長谷川
2011年4月21日木曜日
荒川河川敷(船堀橋から堀切橋)撮影;2011.4.20
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