「ひとりっ子なのに、ぼくには長いあいだ兄さんがいた」の冒頭の始まりは『ある秘密』を最初から暗示しているようにも感じる。その兄さんに関わること…と。でもわかるのは後のこと。主人公の少年は、うまく言い表せないけど自分のまわりに何か秘密があると感じている。そのモヤモヤしたいらだちを、想像上の兄と戯れる孤独な夢想という方法で著者は表現する。
『ある秘密』がいったいどんな秘密なのか、引き込まれるようにページをめくるが、用意された痛みはあまりに悲しい。
15歳になったある日、少年はその秘密を知る事になる。父マクシムは母タニヤと結婚する前に、アンナという女性と結婚していて男の子(シモン)がいたという事実。夢想でなく現実の兄がいたのだ。タニアはアンナの弟の妻だった。マクシムはタニアの美しく完璧な容姿にひと目で心を奪われる。許されない思いとわかっていながら。そして、アンナは夫の熱いまなざしの先にある欲望を読み取る。優しく従順なアンナにとってそれは悲劇の始まりだった。
戦争の影がすぐそこまで来ていた。パリでもナチスによるユダヤ人拘束が始まった。何十年も前の父の時代からフランスに帰化してフランス人になっている自分たちは大丈夫とマクシムは強気だったが、次第に追いつめられていく。アンナの両親も連れ去られる。ユダヤの星印の装着が義務づけられるようになると、マクシムは妻子と親族を安全な自由地帯へ逃す計画をたてる。案内人に相当の礼金を渡し、ニセの身分証を携帯し衛兵の監視が緩む時間帯をねらってという方法で。一足早く男性陣の決行は成功し、アンナとシモンたちを待つばかり。夫が従軍してひとりきりになったタニアがマクシムたちに合流したという手紙がアンナに届く。それを目にしたアンナの絶望。
アンナとシモンたち4人が案内人に導かれていよいよ出発しようとしたそのとき…外で車が止まった。闇の中で足音が響く。扉が開き制服姿の将校たちが入ってくる。ニセの身分証ですべて計画通りうまくいくはずだったのに…。
「臆病なアンナ、完璧な母親であるアンナが悲劇の女主人公に変身し、か弱い女が突如としてメデイアになり、傷つけられた愛の祭壇に、わが子とわが命をいけにえとしてささげたのだ」
両親も周囲の大人たちも沈黙することでしか乗り越えられなかった一族の悲劇。すべてを知った少年は、両親を愛するゆえに今度は自分が口をつぐんだ。そして、両親の没後20年たった年に両親の物語りを書こうと思った。この物語りは著者の自伝的小説。
本著は2004年に刊行され、フランスの高校生が選ぶコンクール賞、および「エル」読者大賞を獲得し、ベストセラーとなる。著者はパリで精神分析クリニックを開業している。
(訳:野崎 歓)
文 ; 長谷川
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