2012年5月24日木曜日

谷中・千駄木よみせ通り商店街感謝祭

◎TOKYO PHOTO  ;  YOMISEDORI FESTIVAL 19.5.2012








台東区谷中と文京区千駄木にまたがる「よみせ通り商店街」では、19日と20日の2日間、「わくわく大感謝祭」が行われた。日暮里駅から谷中銀座商店街をまっすぐ進むとよみせ通り商店街につきあたる。よみせ通り商店街は北は道灌山通り、南は支那そば春木屋辺りまで。不忍通りを一本内側に入った昔ながらの地元の商店街だ。

「わくわく大感謝祭」ではさまざまな催しが開催された。早稲田大学ジャグリングサークルによるジャグリングの大道芸が行われていたり、道ばたに衣類や小物を広げたフリーマーケットやいわての物産が売られているコーナーがあったり、JR西日暮里駅からは鉄道グッズや駅弁、野菜などが売られている。また、駅長さんの服を来てぬいぐるみと一緒に写真を撮るコーナーには子ども連れの親子が並んでいた。小さな商店街が観光客や地元の人で楽しそうに賑わっている。

手作りのステンドグラスを売る若い女性は、2007年から雑司ヶ谷で制作を始めた「kojikaya」さん。古い外国の切手を埋め込んだブローチやペンダントなどのアクセサリーなども展示している。昔懐かしい紙風船などを売るコーナーや「ながれのかばんやえいえもんさん」も実演販売するとのこと。

よみせ通りの中程には延命地蔵尊が安置されている。昭和8年、長野県南佐久の古刹黄蘗宗玉井山法城院から当地に移されたものとのことで、地元の人が日頃からよくお参りしている。災厄を払い除け、満願のご利益をもたらすといわれる有り難いお地蔵さま。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月23日水曜日

田端文士村その2(北区)

◎TOKYO PHOTO  ; TABATA no2.  18.5.2012







田端5丁目の路地にある室生犀星・菊池寛旧居跡を見たあと、大龍寺の大木が連なる八幡坂に出る。八幡坂は趣のある坂道。高台に立つ住宅のブロック塀に草花が乱れ咲く様子も目に留まる。田端公園では、4、5歳の男の子が一心に自分のオモチャを水洗いしていた。

田端公園からポプラ坂の標識のある田端保育園前に出る。田端保育園はポプラ倶楽部跡地に建っている。ポプラ倶楽部は、洋画家の小杉放庵が明治41年頃作ったテニスコートで、当時田端に住む洋画家たちの社交場であった。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、小説家の菊池寛なども近くに住んでいた。

田端保育園の横にはマンション建設反対の看板が掲げられている。高い建物がない周辺の住民にとって、7階建てというのは高すぎて威圧感があるということだろうが、おかまいなしに建設は進んでいる。マンション建設地からポプラ坂を下っていく途中、ひな壇のように新築戸建て住宅が何棟も建設されている。都心の真ん中でこれ程の規模の住宅地が新しく出来るのは珍しい。

谷田川通りに出る。この周辺に堀辰雄、岡倉天心、竹久夢二や村山槐多なども住んでいた。北区田端区民センター(ふれあい館)の前には小杉放庵旧居跡の標識がある。さらに進むと、塀越しにゆずの実がたれ下がった家がある。この近くにに萩原朔太郎が数ヶ月暮らした。朔太郎は大正14年に妻子とともに上京し、大井町からここへ転居してきた。室生犀星の強い誘いだったらしい。芥川龍之介は、朔太郎が田端に来たことが嬉しくて、佐藤春夫に『この頃田端に萩原朔太郎来たり、田端大いに詩的なり』と手紙を送ったとのこと。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月22日火曜日

田端文士村その1(北区)

◎TOKYO PHOTO  ; TABATA no1.  18.5.2012







田端文士村記念館には、かつて田端に暮らした芥川龍之介や室生犀星などの手書き原稿や書簡などが展示されている。入ってすぐのビデオコーナーでは田端文士芸術家村、芥川龍之介、室生犀星、板谷波山の生涯を解説している。開館時間は午前10時から午後5時まで。入館料は無料。記念館で資料と芸術家・文士たちの住んでいた場所を記したマップをもらって、まず芥川龍之介が暮らした地へ。

資料によると、明治中期頃まで田端は閑静な農村だった。明治22年に上野に東京美術学校(現・芸大)が出来ると、美校を目指す若者や学生たちが多く田端に住むようになった。明治33年に小杉放庵、36年に板谷波山、40年に吉田三郎、42年に香取秀真など。画家を中心にした“ポプラ倶楽部”も作られ、さながら芸術家村だったという。大正3年、芥川龍之介は一家で田端435番地に転入し、2年後には室生犀星も移り住む。芥川龍之介のたぐいまれな才気と下町人特有の面倒見の良さが、多くの人を惹き付け、やがて菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明など数多くの作家が住むようになり、文士村となる。

記念館を後にして、江戸坂を上り東台橋を渡って、切通し沿いの高台を駅と反対方面に進む。童橋を過ぎてから左に折れ少し進むと、小さなマンションの前に芥川龍之介旧居跡がある。大正3年から昭和2年までの13年間暮らした。この間「羅生門」「鼻」「河童」「歯車」等の小説や俳句を執筆し、文学史上に大きな足跡をのこしたが、昭和2年7月、雨の降りしきる中、自室で服毒自殺をした。

東台橋に戻って、田端高台通りの萬栄寺隣の案内板を見る。サトウハチロー・福士幸次郎旧居跡。サトウハチローは詩人・作家で童謡作詞家でもある。童謡「ちいさい秋みつけた」や歌謡曲「リンゴの唄」「長崎の鐘」などは有名。ザ・フォーク・クルセダーズが歌った「悲しくてやりきれない」もサトウハチローの作詞だとは驚き。文京区弥生町にも旧居跡の碑がある。

田端高台通りを左折して路地に入っていくと、室生犀星旧居跡の案内板がある。室生犀星はこの周辺で転居を繰り返していた。抒情小曲集の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」の詩句はあまりにも有名。この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後も、出身地の金沢にはほとんど戻ることがなかったという。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月21日月曜日

田端駅周辺

◎TOKYO PHOTO  ; TABATA STATION no2.  18.5.2012






西日暮里方面から線路沿いの高台を通って、田端駅北口に出る。田端ふれあい橋という橋上にある駅舎に行くのに、急な階段を降りなければならない。強風のこの日、下のホームから吹き上げてくる風に煽られ、看板を持っていた女性店員の手から、アッという間に看板が勢いよく飛んでいった。

駅舎は「アトレヴィ田端」と一体となっていて、成城石井やTSUTAYA、スターバックスコーヒーなど、おしゃれな雰囲気の店舗が入っている。「アトレ」は「魅力」を意味するフランス語「attrait」に由来し、「アトレヴィ」のヴィは、フランス語で生活・人生の意味という。アトレよりこじんまりした商業施設。

駅の向こうにはホテルメッツ田端、通りをはさんでJR東日本の社屋。また何本も敷かれた線路の田端操車場では、出番を待つ停止中の車両が控えている。反対側には、平成5年築の19階建てのオフィスビル・アスカタワーが、ひときわ高さを誇っている。

田端駅の東側は急な高台につながる地形が特徴。アスカタワー横の東台橋から田端駅前交差点と駅方向を見ると、かなりの高さに橋があることがわかる。下を走る切通しの田端駅前通りに並行して高台にも通りがある。戻って、アスカタワー前の緩やかな坂を上がり、円形に張り出す建物「田端文士村記念館」に入る。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月19日土曜日

西日暮里ひぐらし坂から田端駅界隈

◎TOKYO PHOTO  ; TABATA STATION  18.5.2012






西日暮里駅高架の下には道灌山通りが走る。駅の西側、道灌山通り沿いに開成学園(中学校・高校)がある。1871年(明治4年)に、神田相生橋(現在の神田淡路町)に共立学校として創立された伝統ある私立の男子校。1学年の生徒数は中学300名、高校400名で、質実剛健、文武両道の校風。東京大学合格者数が30年連続で日本トップ。中学受験の世界では麻布中学校、武蔵中学校とともに「男子御三家」といわれている。

学園横から裏手に回り込む坂道が、ひぐらし坂と呼ばる急坂。平成2年に荒川区によって命名された。急坂の途中にさらに急な階段があって民家へと続く。坂を上りきると開成学園グランドに突き当たり、右折して崖の下に線路を望むところに出る。山手線、京浜東北線、高崎線や上越、東北、山形の各新幹線が行き交い、少し向こうには京成線なども見える見晴らしのいい高台になっている。

日暮里駅前の3棟のタワーマンションの横に、来週開業を迎える東京スカイツリーが見える。田端駅に近づくこの辺り荒川区と北区の区境になっている。公園整備を行ってまだ新しい田端台公園、ライオンズヒルズ田端不動坂を過ぎて、斎場のような田端駅前ホールの脇の階段を下りていくと、小さな駅舎の田端駅南口に出た。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月18日金曜日

東京都美術館とその界隈

◎TOKYO PHOTO  ; TOKYO METROPOLITAN ART MUSEUM  11.5.2012




東京都美術館が2年間の大規模改修期間を経て、2012年4月1日に公募展示室、レストラン、ミュージアムショップ、美術情報室、アートラウンジなどがリニューアルオープンした。6月30日には特別展の会場となる企画展示室がオープンし、全館リニューアルオープンとなる。

美術館の入り口前には球体のオブジェが輝いている。開館時間を過ぎてしまったので入ることはできなかったが、門前の警備員さんに綺麗になりましたねと声をかけたら、改修に2年もかけたので、館内もきれいで新品と一緒だよと話してくれた。

5月27日までは「公募団体ベストセレクション 美術 2012」展が行われている。全国の主要な公募団体の中から選定した、27の美術団体の作家171名を一堂に紹介する展覧会。2012年6月30日~2012年9月17日まではリニューアルオープン記念「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」展。最大の見どころはフェルメール「真珠の耳飾りの少女」。少女が肩越しに投げかける深いまなざしを堪能したい。また、最晩年の境地を描いた「自画像」を含むレンブラントの作品6点も並ぶとのこと。

外壁の煉瓦にかかる木々の緑が美しい。裏手に回ると動物園との境の由緒ある門の向こうに猫が佇んでいた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

2012年5月16日水曜日

上野動物園前のこども遊園地と上野東照宮

◎TOKYO PHOTO  ; UENO PARK,UENO TOSHOGU  11.5.2012








不忍池から上野公園に入っていくと、上野東照宮ぼたん苑の看板をあちこちで目にする。案内板に導かれて奥へ進む。上野動物園の手前にある大鳥居をくぐると左手に鬱蒼とした木立に囲まれるようにしてぼたん苑がある。上野東照宮ぼたん苑は1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開苑したとのこと。当初は上海や洛陽植物園から寄贈された中国牡丹を中心に70品種程度だったが、現在では約250品種3200株の牡丹があでやかに咲き誇る。600円(大人)の入苑料を払うと中に入れる。午前9時~午後5時まで。

そのまま参道を奥へ。両側に多くの石灯籠が並び、そのほとんどが社殿の建築の際に諸大名より奉納されたものとのこと。さらに奥の社殿前には銅灯籠が置かれている。全48基。国指定重要文化財。こちらも慶安4年(1651)に諸国の大名から奉納されたもの。

上野東照宮は1627(寛永4)年、徳川家康の遺言で、天海僧正と藤堂高虎が寛永寺の敷地内に造営したもの。現存しているのは、1651(慶安4)年3代将軍徳川家光が大改築を行なったもの。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれた。当時は東叡山寛永寺の一部だったが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立。戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、国指定重要文化財として江戸の面影をそのまま現在に残している。社殿は現在改修工事中。保護シートにプリントされた社殿見えるだけ。社殿の手前、右手奥の柵の向こうに旧寛永寺五重塔が見える。木立に阻まれこちら側からは全貌は見えない。動物園の中に入るとしっかり見えるとのこと。

上野動物園入口の前に小さな遊園地がある。ちょうど夕方5時を過ぎたところ。子どもたちの姿もなく、遊具も動いていない。動物園も係員の人が来て閉門している。動物園前のパンダ焼などを売る売店も閉店準備を始めていた。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
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photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子