2016年3月18日金曜日

はっぴいもーる 熊野前商店街

◎TOKYO PHOTO FROM TABATA TO OGU ; 12.3.2016

尾久銀座商店街から、通りをひとつ隔てて向こうは「はっぴいもーる 熊野前商店街」。この商店街は大正時代に発祥した区内有数の歴史を持つ。

都電荒川線「熊野前」から東尾久四丁目までの480メートルの道沿いに、食品や日用品、ファッションなどバラエティ豊かな約80もの店が並び、下町らしい活気にあふれている。尾久銀座商店街と合わせると、何と800メートルほどの長さの通りに、150店近い店が軒を連ねることになる。

熊野前商店街の真ん中あたりに、小さな祠のあるちょっとしたスペースがあって、北野たけしの若い頃のポスターが貼られている。

荒川区立男女平等推進センター(アクト21)で休憩してから、上部を舎人ライナーが走る尾久橋通りに出る。




◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年3月15日火曜日

尾久銀座商店街

◎TOKYO PHOTO FROM TABATA TO OGU ; 12.3.2016

尾久銀座商店街を歩く。土曜日の昼時とあって通りは賑やか。おでん屋、肉屋、八百屋、和菓子屋、衣類、花屋、美容院、酒屋、薬局、学習塾などなど、生活に必要なあらゆる業種の店が60店以上もずらりと並んでいる。

尾久銀座商店街は60年近い歴史のある商店街。戦後の復興期から高度経済成長期に入った時期の昭和34年に創立したという。

商店街の真ん中辺の両側にスーパーもあって、便利なことこの上ない。商店街の端にある「うなぎの坂田」さんでうなぎ定食を頂いた。うな丼に漬け物、サラダ、鯉こくまでついて1200円。美味しくて良心的な価格がうれしい。

和菓子の伊勢屋さんで、みたらし団子と豆大福のおやつタイム。みたらしのタレがたっぷりかかっていてまだ暖かく団子も大振り。豆大福も大きくて餡がたっぷり。幸せ〜。






◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年3月14日月曜日

田端文士村から尾久本町通りへ

◎TOKYO PHOTO FROM TABATA TO OGU ; 12.3.2016

田端駅前に建つ高層ビル・アスカタワーの中に田端文士村記念館はある。田端といえば文士村といわれる程、かつては多くの作家や画家、陶芸家などの芸術家たちが暮らした。記念館でしばし、文化の香りに触れる。

作家では、芥川龍之介と室生犀星を中心に、萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄、佐多稲子などが。また、小杉放庵(画家)、板谷波山(陶芸家)、吉田三郎(彫塑家)、香取秀真(鋳金家)、山本鼎(画家・版画家)なども田端に移り住んで、画家を中心とした“ポプラ倶楽部”という社交の場も作られた。ポプラ倶楽部跡はいまは田端保育園になっている。

芥川龍之介は、1914年(大正3)に田端に転入し、没年の1927年(昭和2)までの13年間を田端の地で過ごした。芥川龍之介旧居跡は、現在はワンルームマンションになっていて、看板が建っているのみ。時代の流れとはいえ、もう少し風情を残せなかったものか。

田端操車場に停まる新幹線の車両を横目に、新田端大橋を渡る。明治通りを越えて、小台大通りを右折して、尾久本町通りに入る。しばらく行くと「はっぴいもーる熊野前商店街」と「おぐぎんざ商店街」の中間点に出た。






◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年3月12日土曜日

大震災から5年 黙祷

◎TOKYO PHOTO regarding the Great East Japan Earthquake ; 5.2011

震災から2ヶ月。岩手から福島まで、被災地、原発被害地を300キロ歩いた。
テレビや新聞で報道されている場所だけではない。
海岸沿いの村々はすべて壊滅していた。
その被害の大きさに、言葉がでなかった。
喪失感、悲しみ、怒り。その思いは今も変わらない。






◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年3月1日火曜日

谷根千 三崎坂上あたり

◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 30.1.2016

今日から3月。風が冷たい。河津桜が満開のニュースも流れていて、春もそこまで来ているというのに、風邪をひいてしまった。熱は下がったが、鼻づまりと咳が続いている。

体調が戻りつつあるので、谷中を歩いた。三崎坂を上がって谷中墓地まではだいたいいつものコース。三崎坂上と日暮里駅に進む初音の道入口の信号。ここにある中華料理の店「珎々亭」はかつてテレビ東京の『出没!アド街ック天国』にも登場したことがあるらしい。一度入ってみたいと思っている。隣には豆大福がいつも目立つヤマザキショップがある。

「tokyobike gallery 谷中」は古い酒屋をリノベーションした自転車屋さん。オシャレな自転車が並んでいる。レンタサイクルも行っていて、谷根千エリアから上野浅草方面への散策には嬉しいサービスだろう。

ちなみにこの古い酒屋とは、今は千駄木の住宅街の一角に移った「伊勢五本店」のこと。全国の名酒が手頃な価格で購入できて、相談に乗ってくれるスタッフも感じがいい。すっかりこの酒店のファンになってしまった。




◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年2月23日火曜日

冬の谷根千 三崎坂うえ観智院辺り

◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 30.1.2016

小雨降る日の谷中三崎坂。坂の上の観智院には初音六地蔵が祀られていて、境内は台東初音幼稚園も併設される。また初音ホールと日本声楽家協会の事務局もある。

観智院の住職・髙橋大海師は東京芸大大学院を卒業し、芸大教授を務められたあと、聖徳大学音楽学部長、東京芸大名誉教授など異色の経歴を持つ高名な音楽家とのこと。

門を入ってすぐにハゼと思われる大木がある。幼稚園の子ども達、かぶれなどは大丈夫なのだろうか。

2月22日は猫の日とのことで、世間ではあちこちでイベントが行われたようだが、谷中は毎日が猫の日。どこを歩いても猫に出会う。三崎坂上には招き猫の谷中堂もある。






◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa

2016年2月20日土曜日

『サウルの息子』 監督 : ネメシュ・ラースロー

◎TOKYO PHOTO SAUL FIA/SON OF SAUL; 2.2016

極限の恐怖は人間の感情を凍らせるという。
映画のラスト。凍りついた主人公サウルの表情に微かな変化が生じる。森影から偶然に現れたひとりの子どもを発見したときだった。その表情の一瞬の人間的な変化が、あまりに暗く重く辛いこの映画の、唯一の「救い」だった。その直後、ビルケナウ収容所から逃亡したサウルたちを追うナチス・ドイツの銃声が森に響き渡り、画面は最後に暗転する。

1944年10月。強制収容所内でユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊ゾンダーコマンドとして従事する(映画ではArbeitと発音していた)ハンガリー系ユダヤ人のサウル。カメラは徹頭徹尾、そのサウルひとりの動きに密着し、彼の背景にいる大量のユダヤ人と累々とした死体(あるときはガス室で、あるときは焼かれる)は極端にぼかして表現する。技術的にこの映像はかなり難しいはずだ。それを可能としたのは、極限の恐怖をひとりの表情に凝縮させた監督ネメシュ・ラースローの、ホロ コーストへの怒りの執念と、虐殺された人々に対するレクイエムの念だと感じた。

「息子」とはガス室で生き残った少年のことであり、この映画ではサウルの本当の息子であるかどうかは明らかにしない。だが、ナチスによってすぐに処刑されてしまう少年を(いや我が息子を)サウルは手厚く葬ろうとラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜して奔走する。映画のラストに暗示的にあるように、微かな「救い」を、サウルはこの「息子」に求めていたのかもしれない。

息子(少年)一人のいのちがいかに重いか。多数のユダヤ人たちのいのちがいかに軽く扱われたか。この対比性が、決して忘れてはならない歴史があることを観るものに強烈に迫る。対比的に描いているところが他にもある。酔ったナチス・ドイツの将校たちが、ふざけてユダヤの踊りをケラケラと笑いながら真似をするシーン。恐怖以外のいっさいの表情を抑えた映像だけに、人間性を喪失した者たちの冷酷さを際立たせる、優れた映像表現となっている。

アウシュビッツ解放70周年を記念して製作されたハンガリー映画。2015年・第68回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。


◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/

◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; Utsunomiya
text;Utsunomiya