◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 2.4.2016
掲載が遅れてしまったが、文京区千駄木にある須藤公園の桜は朱色との対比が美しい。
夕方になると、子どもたちが集まってきてザリガニをとっている。
区民にかかせない貴重な空間。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
http://utsunomiyatamotsu.wix.com/photosite/
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
http://photos-of-tokyo.blogspot.jp/
◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html
photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa
2016年4月29日金曜日
2016年4月4日月曜日
谷中墓地の満開の桜
◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 2.4.2016
今か今かと毎日心待ちにしていた谷中墓地の桜が満開を迎えた。
上野公園ほどではないけれど、谷中墓地にも海外からの観光客が多く訪れている。半数近くの人が海外からの人と思われる。欧米人が多い。
薄く曇りの日、桜のトンネルの下を写真をとったり、桜を見上げながら思い思いに歩く。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
http://utsunomiyatamotsu.wix.com/photosite/
◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa
今か今かと毎日心待ちにしていた谷中墓地の桜が満開を迎えた。
上野公園ほどではないけれど、谷中墓地にも海外からの観光客が多く訪れている。半数近くの人が海外からの人と思われる。欧米人が多い。
薄く曇りの日、桜のトンネルの下を写真をとったり、桜を見上げながら思い思いに歩く。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
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◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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2016年4月3日日曜日
谷中 領玄寺と宗善寺の満開の桜
◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 2.4.2016
谷中に数々ある寺の中でも、この領玄寺の場所はたいへん分かりにくい。ヒマラヤ杉の少し北西、妙光寺や蓮華寺の先の行き止まりにある。山門を入ると、手入れされた竹の支柱に支えられた枝垂れ桜が楚々とした姿を見せる。
この寺には「領玄寺貝塚」の説明板がある。領玄寺境内の墓地や本堂裏手は、縄文時代中期(紀元前3000年~2000年頃)の小規模な貝塚が点々と散在し、ハマグリ・アサリ等の十二種類の貝や縄文土器、打製石斧、石鏃・石錘などの遺物が発見されているとある。
また、領玄寺貝塚の他にも北方には同時期の延命院貝塚、現在のJR線路に沿っては天王寺貝塚(谷中霊園内)や新坂貝塚(鴬谷駅南口付近)などの貝塚遺跡が分布するとのこと。
領玄寺から、三浦坂を下ったところにある宗善寺。入口の桜が見事に咲いている。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
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◎PHOTOS OF TOKYO CITY by t.utsunomiya
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◎東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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photo ; Utsunomiya
text;Hasegawa
谷中に数々ある寺の中でも、この領玄寺の場所はたいへん分かりにくい。ヒマラヤ杉の少し北西、妙光寺や蓮華寺の先の行き止まりにある。山門を入ると、手入れされた竹の支柱に支えられた枝垂れ桜が楚々とした姿を見せる。
この寺には「領玄寺貝塚」の説明板がある。領玄寺境内の墓地や本堂裏手は、縄文時代中期(紀元前3000年~2000年頃)の小規模な貝塚が点々と散在し、ハマグリ・アサリ等の十二種類の貝や縄文土器、打製石斧、石鏃・石錘などの遺物が発見されているとある。
また、領玄寺貝塚の他にも北方には同時期の延命院貝塚、現在のJR線路に沿っては天王寺貝塚(谷中霊園内)や新坂貝塚(鴬谷駅南口付近)などの貝塚遺跡が分布するとのこと。
領玄寺から、三浦坂を下ったところにある宗善寺。入口の桜が見事に咲いている。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
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2016年4月2日土曜日
谷中 大泉寺の満開の桜
◎TOKYO PHOTO YANAKA-NEZU-SENDAGI ; 2.4.2016
台東区谷中6丁目にある大泉寺の桜が満開。山門のすぐ内側にある大木から、駐車場にまで大きく広がった枝に咲く桜は見事という他ない。
山門をくぐると正面に本堂、左に客殿、右には墓参用休憩所や水屋などが配されている。この大泉寺、明治の日本美術勃興期の大切な舞台ともなった。
谷中は岡倉天心が暮らし、日本美術院を旗揚げした地でとして知られる。明治31年、美校校長の職にあった天心は、怪文書により誹謗中傷の餌食となって校長辞任に追い込まれた。天心を慕い、この事件に憤慨した橋本雅邦、高村光雲ら教授34名は総辞職することを決意し、声明を発表した。その一大事に集合した場所が、大泉寺だった。
大泉寺は、慶安元年、西暦で言うと1648年に神田北寺町から現在地に移ってきたとのことだが、大火や震災など幾度となく災禍にあい、復興再建を果たし、現在に至る。
◎photograph UTSUNOMIYA TAMOTSU
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台東区谷中6丁目にある大泉寺の桜が満開。山門のすぐ内側にある大木から、駐車場にまで大きく広がった枝に咲く桜は見事という他ない。
山門をくぐると正面に本堂、左に客殿、右には墓参用休憩所や水屋などが配されている。この大泉寺、明治の日本美術勃興期の大切な舞台ともなった。
谷中は岡倉天心が暮らし、日本美術院を旗揚げした地でとして知られる。明治31年、美校校長の職にあった天心は、怪文書により誹謗中傷の餌食となって校長辞任に追い込まれた。天心を慕い、この事件に憤慨した橋本雅邦、高村光雲ら教授34名は総辞職することを決意し、声明を発表した。その一大事に集合した場所が、大泉寺だった。
大泉寺は、慶安元年、西暦で言うと1648年に神田北寺町から現在地に移ってきたとのことだが、大火や震災など幾度となく災禍にあい、復興再建を果たし、現在に至る。
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