2012年4月25日水曜日

荒川区三河島駅界隈

◎TOKYO PHOTO  ; MIKAWAJMA 24.4.2012








常磐線三河島駅で降りる。都心にありながら乗降客の少ない静かな駅。上りと下りでホームは一つ、改札も一つで、南千住寄りのホームのはずれまで歩いていかなければならない。貨物列車の線路が本線の少し下を走っている。

駅前の尾竹橋通りから荒川仲町商店街を通って南千住方面を目指す。荒川仲町商店街は狭い通りの地元の商店街。子どもを乗せた自転車のママたちが通りすぎ、お年寄りがおしゃべりしながら買物をする。小学生たちも駆け回っている。閉まっている店もあるが、八百屋、肉屋、魚屋、米屋、花屋、雑貨や衣料品の店、スーパーなど何でも揃っている。

商店街の途中に生涯学習センターがあり、校庭では小さな子どもたちがサッカーの練習中。指導者の声に励まされ、自分の頭より大きなボールを蹴ったり転がしたりと可愛らしい。第八峡田小学校(ハケダショウガッコウ)が新しく開校した峡田小学校との合併により、廃校になったあと生涯学習センターになったのだ。さまざまな催しが行われたり、教室を会議室として貸し出されている。

「三河島」の地名は、家康入府の際、三河国(愛知県)から従ってきた人が住み着いたからとか、中川・古利根川・荒川の三つの川に囲まれた島状の中州だったからなどの説がある。戦後、三河島の地名を全国区にしたのは、1962年(昭和37年)に三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故であろう。死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。この事故により「三河島」という地名が全国にマイナスイメージとして持たれるようになったため、1968年の住居表示施行を機に一帯の「三河島町」という町名は消滅したとのこと。現在、周辺は東日暮里、西日暮里、荒川になっている。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

0 件のコメント:

コメントを投稿