2012年4月24日火曜日

川本三郎著『東京おもひで草』を読む

本著は、雑誌や新聞などに掲載されたノスタルジー都市・東京に関する川本氏のエッセイを、テーマに沿って7部構成にして一冊にまとめた本。38編が収録されている。
変化が激しく、これまでの生活が徐々に過去へと押しやられていく都市・東京。長いあいだ親しんでいたものが消えていく。気がついた時には身近なものや習慣がなくなっている。そんな「失われた町」東京を歩きながら「懐かしい」風景や出来事に出会い、少年のように心躍らせる著者の姿に共感をおぼえる。

ひとつには、文学書の中で描かれる「懐かしい」東京の姿を追いながら語られる。登場人物は実に多彩。永井荷風、幸田文、井伏鱒二、江戸川乱歩、小林信彦、林芙美子、池波正太郎など。
永井荷風は、江東区荒川放水路の新開地や浅草の歓楽街、玉の井の私娼街の様子を描いて、1937年『濹東綺譚』を朝日新聞に連載。また随筆では、下町の散策を主題とした『深川の散歩』『寺じまの記』『放水路』などの佳作を発表した。現在の東京散歩ブームは永井荷風の『日和下駄』あたりから始まったと解説する。
池波正太郎は浅草で生まれ育った町っ子だった。町っ子は子どもの頃から、祖母の手伝いをして貰った小遣いを握りしめて、子どもどうし連れ立って浅草で映画を見たり蕎麦屋に入ったりする。それが日常のことで、一日も早く大人になりたいと子ども心に思っていた。『銀座日記』などの町歩き名随筆は生まれるべくして生まれた作品であると解説する。

また映像評論を専門とする著者らしく、古い映画や写真の中の風景に思いを寄せる。成瀬巳喜男監督の昭和10年代の映画の中の一銭蒸気や円タクであったり、桑原甲子雄の写真集の中の昭和10年代の銀座や浅草であったり‥。
小津安二郎監督の『東京物語』が作られたのが昭和28年。原節子と笠智衆、東山千栄子の老夫婦ははとバスで東京見学をして、新装開店した銀座のデパート松屋の屋上から東京の町を見る。
隅田川を映した映画も数多くあり、昭和30年代の隅田川と橋、水上バスが人々の足としてまだ活躍していた頃の光景、都電が銀座を走っていた頃の光景など。
昭和38年に作られた山田洋次監督の『下町の太陽』には、墨田区の曳舟あたに住み、資生堂の工場で働いている倍賞千恵子が、郊外の団地に住む友人を訪ねるシーンで、工場の煙が暗く空を覆う下町の工場地帯が映しだされているという。この頃隅田川は汚れて悪臭を放っていた。
東京タワーが起工されたのが昭和32年。小津安二郎監督の『秋日和』にはまだ新しい東京タワーが誇らしげに映し出されている。

「東京の町は、東京オリンピックを境に大きく変わった。新幹線が走り、高速道路ができ、中央線が高架になり、ステーションビルができた。…“東京ベル・エポック”はこの時終わったといっていいだろう」と著者はいう。1944年(昭和19年)生まれで、戦後の復興期と自らの青春時代が重なり、東京の変化をつぶさに見てきた著者にとって、東京の消えていった風景を、歩きながらひとつひとつ拾い集めることは、楽しくも愛おしい作業であったろう。

まだまだ変化し続ける東京。首都直下型地震が現実味を帯びて来ている今だからこそ、考えさせられることが多い一冊だ。

◎著者:川本三郎
1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒。評論家(映画・都市・文学)。1991年に『大正幻影』でサントリー学芸賞1997年に『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』で読売文学賞・評論・伝記賞2003年に『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞。著書多数。
亡き妻への思いを描いた『いまも、君を想う』(2010年、新潮社)は、淡々とした語り口でありながら心にしみじみ残る名著。
2011年5月には、自らの60年代の体験を描いた『マイ・バック・ページ』が妻夫木聡と松山ケンイチの主演で映画公開された。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
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文;長谷川 京子

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