2012年2月7日火曜日

文京区大塚 大塚公園から護国寺















東京メトロ丸の内線の新大塚駅から大塚公園に出る。近くにあった大塚地域包括センターで周辺のマップをもらう。大塚の全体像と見所がわかる楽しいイラストマップだ。今日は初めての道をこのマップを頼りに歩く。

大塚公園は昭和3(1928年)年に開園した由緒ある公園。小さな子ども連れやお年寄りの姿が見られ、地域の人たちに親しまれている。公園の中に石仏(庚申塔)が並んでいる。300年以上前に大塚辻町(現在の大塚5丁目9番)の路傍に往時の里人が豊作と二世安楽の祈りをこめて造立し代々供養を続けてきたが、戦災に遭いその後大塚公園に移されたものという。

春日通りに出る。東邦音大を通り過ぎて富士見坂手前の狭い路地を入る。そこは急な階段になっていて、階段の段差に沿って数軒の民家の入口が作られている。小さな児童遊園の隣で猫が顔を出し、仮面の家、理容オハラなど古い民家を見ながら吹上稲荷神社へ。

吹上稲荷神社は江戸城の吹上御殿に由来する由緒正しき神社だという。その鳥居の側に鎮座する石狐は東京最古のものだとか。屋根の修復に募った寄付金の芳名者一覧が立派に作られていて、そちらに目が行ってしまう。神社の裏手の路地を入って行くと、昔ながらの住宅地になっている。開運坂沿いには嘉納治五郎旧居跡もある。

ぐるっと廻りこんで護国寺に。徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建されものという。大隈重信や山縣有朋、山田顕義、梅謙次郎ら多くの著名人の墓所としても知られる。近代以降は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られ、護国寺境内の東半分が皇族墓地とされている。桂昌院はお玉の方と呼ばれ、18歳のとき家光の寵愛を受けて側室に加えられ、徳松(後の5代将軍綱吉)を生む。八百屋の娘として産まれたお玉が、綱吉が将軍となった後に従一位と女性としては最高位となる。大奥での力は絶大、権力を手に入れた。「玉の輿」の語源はこのお玉だという説もあるようだ。

※東京都市モノローグ2011年の総集編(漂流する東京)
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto1.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto2.html
http://www.utsunomiya-design.com/photograph/tokyophoto3.html

photo ; 宇都宮 保 
文;長谷川 京子

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