2011年9月13日火曜日

文京区千駄木(1) 撮影;2011.9.10

◎TOKYO PHOTO  ; SENDAGI  10.9.2011







谷中、根津を廻ったら今度は千駄木だろうということで、暑さがぶり返した土曜日、千駄木を歩く。千駄木駅を降りてすぐの路地を入ると「須藤公園」がある。近所に須藤さんというお宅があるところを見ると、もしかして個人の寄贈によって作られた公園ではなかろうかと思って調べてみると、やはりそうだった。きれいに管理されていて大木に滝や池、藤棚などが涼を誘う。公園脇の坂道はかなりの急坂で、汗をふき拭き登る人、自転車で勢いをつけて登り途中で降りて力いっぱい押していく人、転びそうになりながら走って降りてくる子ども、危ないよ転ぶよと声をかけながら一緒に降りてくるお父さん…なかなかおもしろい。

坂道の上は住宅街で一戸建てがぎっしり並ぶ。狭い道路は車も通らず静か。一軒一軒は広くはないが、全体に落ち着いた雰囲気なのは、高層のマンションがないことや敷地に思い思いに花や木が植えられているからだろう。

道の途中に「旧安田楠雄邸庭園」「高村光雲・豊周遺宅」の看板が立っている。旧安田楠雄邸は大正8(1919)年に建設され近代和風建築として価値の高い建築物。平成8年までは安田家の人が住んでいたが財団法人に寄贈され、修理を経て一般公開されるようになったという。その裏手の通り沿いに高村光雲・豊周旧居跡がある。高村光雲は高村光太郎の父で彫刻家。上野の西郷隆盛像が特に有名。明治 25年(1892)にこの地に移ってから歿するまで42年間住んだ。家督を継いだ高村豊周は光雲の三男で高村光太郎の弟。鋳金家で、父と同じ東京美術学校(現芸大)の教授。高村光太郎と智恵子もこの近くに暮らした。今は豊周の親族が住んでいるらしい。

ぐるーっと大きく一周して団子坂に出る。文京区の看板によると、団子坂の名前の由来は、昔、坂の下に団子屋があったからという説と、急な坂なので雨降りの日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからという説があると書かれている。途中に森鴎外記念館が建築中。平成24年11月にオープンとのこと。
森鴎外のほか夏目漱石や江戸川乱歩など、団子坂ゆかりの文人は多い。

photo ; 宇都宮 保
文;長谷川

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